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CICとCCD

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 GHQ・SCAPの民政局の下にあった軍政部とは別に、占領行政の一端を担った組織があった。その一つが参謀第二部(G2)の下部機関のCIC(対敵情報部隊)で、北海道には札幌(大同生命ビル)に地区本部をおき、函館・旭川などに支部をおいた。当初のトップはガーゲット少佐で、五〇人ほどの隊員が配置され、右翼・戦犯・「反動分子」という「敵」の情報収集にあたったが、東西冷戦の激化と占領政策の転換のなかでソ連や「国内左翼」の情報収集が主要な任務となった。このため、多くの情報提供者をかかえ、その報酬として「米兵三十人一週間分の食糧や大量の服地などを札幌駅構内のRTO(占領軍鉄道輸送司令部)の貨車に積んでいつも用意していた」。この北海道のCICは、横浜や神戸のCICと並んで「ズバ抜けた業績」をあげたという(証言 北海道戦後史)。レッド・パージ該当者の名簿はCICによって作成された。北海道連絡調整事務局の二十五年十二月の『執務月報』の「CICに喚問せられたる者に対する旅費支払状況」という記載では「前月迄累計 百四十二件」「本月分 四十二件」となっており、活発な活動が推測される。スパイの駆使や謀略と深く結びついたこの組織の実態はなお不分明である。
 CICと同じくG2に属してあらゆる分野の検閲と情報収集にあたったのが、CCD(民間検閲支隊)である。中央放送局のある札幌には、CCDの下でマスメディアの検閲にあたるPPB(出版・演芸・放送課)の分局がおかれた。また、新聞の事前検閲が二十一年五月には札幌におよんだ(堀場清子 禁じられた原爆体験)。現在「プランゲ文庫」として知られる膨大な検閲資料には北海道の多くの新聞雑誌や書籍類が含まれているが、それはこのCCDが扱ったものである。
 そして、北海道連絡調整事務局の二十三年十一月下期の『半月報』には、「手紙検閲の件」として次のような記載がある(日本占領・外交関係資料集第二期第二巻)。
従来札幌にあるCCDは新聞、雑誌、ラヂオ、興行物等の検閲に従事し手紙の検閲は行つていなかつたが、最近CCDは約百五十名の通訳者を募集中であり近く手紙の検閲が開始される筈である。北海道における左翼分子の活動等が最近伝えられるのとにらみ合せ注目すべきことである。

 この検閲が実際にどのようになされたのかは不明である。