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市行政機構の拡張と機構改革

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 戦後、地方制度は大きく変革され、地方自治体の自主性・自律性の確立と民主化が図られた。札幌市では次のように機構整備が行われていった。第一に、地方自治法をもとに昭和二十三年一月、監査委員が設置された。これは地方公共団体の財務や事業について監査を行うもので、執行機関の一つである。五大都市以外は設置は任意であったが、市議会の要望により条例を制定して、二人の監査委員が市議と学識経験者から選出された。第二に、警察と消防が市の所管となり、二十三年三月に市警察、市公安委員会、市消防本部が設置された。第三に、保健所法の改正により人口一五万人以上の市に保健所を置くことになり、二十三年九月一日に道から札幌市に保健所が移管された。第四に、二十三年に農業調整委員会が市に設置され、十一月三十日に最初の選挙が行われた。また農地委員会が農地調整法の改正により民主化され、二十四年八月に選挙が行われた。両委員会は二十六年に統合されて農業委員会となる。第五に、地方自治法により、二十三年十一月、公職者選挙の監督権限をもつ選挙管理委員会が札幌市に設置された。第六に、二十六年八月、市職員の人事について監督権限をもつ公平委員会が設置された。第七に、二十三年七月施行の教育委員会法により、二十七年十一月に市教育委員会が設置された。また二十三年一月には助役二人制が採用された(第二助役として瀬田一雄が就任)。こうして市の行政事務範囲が拡大し、行政委員会が整備され、また議会も二十三年一月の地方自治法改正によって増額修正権が付与されて権限が拡大するなど、地方公共団体の自律化と民主化が敗戦後の五年余りの間に大きく進行した。
 またこの時期、市事務機構を増大する行政事務に対応できる行政力を備えたものに整備するため、機構改革がたびたび行われた。まず、終戦により防衛課を廃止し、衛生課・社会課などを設置、企画考査室を独立させるなどして、一室一一課の体制となった(企画考査室、秘書・総務・財政・教学・戸籍・経済・衛生・工営・水道・社会・会計各課)。昭和二十一年四月、経済部・工営部が置かれ、はじめて部制がしかれた。翌年地方自治法施行にともない、高田市長時代の最初の機構改革が実施され、交通局、総務部・民生部・教育部の設置などによって、一局五部三課体制となった。二十三年には一局六部三課に、翌年には一局七部となった。二十五年には、地方税法の改正や土木・建築・水道の事務増大に対応して高田市政今期四度目の改革が実施され、秘書室、交通局、会計・総務・税務・教育・経済・建設・厚生・水道各部という一室一局八部の体制となった(七期小史)。