昭和三十四年(一九五九)四月、第四回統一地方選挙が実施された。四月三十日の市長選には、昭和二十年上原六郎市長に呼ばれて助役になり、その後高田富與市長の下で三期一二年間助役を務めた原田與作(無所属・自民党推薦)が稲垣是成(無所属・社会党推薦、前北海道教育長)を破って初当選を果たした。得票数は原田一一万一六五一票、稲垣八万二二〇七票であった。前二回の市長選では、共産党候補を相手に高田富與が圧勝していたが、今回は革新候補の得票率は四二パーセントと格段に高まった。
今回の選挙は以前と異なり、組織戦の様相を呈した。この統一地方選で行われた道知事選挙で、町村金五派が自民党の組織を動員して後援会を全道市町村に作り、横路節雄派も対抗して同様に後援会を道内に組織していった。これにならって道議、市町村長、市町村議の候補者も後援会づくりに乗り出し、札幌市長選では原田派が「市政懇話会」、稲垣派は「市政研究会」という後援会を結成した(道新 昭34・3・9)。
「市政懇話会」は市内に約三〇の支部をもち、二月下旬から市出張所などで「市政を語る座談会」を開催した。原田候補が毎晩二、三カ所を廻り、地元の保守系市議・市議選候補者も出席した(道新 昭34・4・2)。別働隊の「市政資料刊行会」は、原田の著作『札幌市政を語る』(昭34・3、序文・高田富與)の普及を図った。「市政研究会」も社会党市議と抱き合わせで稲垣候補の演説会を開き、『札幌市政』という機関誌を発行した(道新 昭34・4・2)。稲垣派の主力は地区労、全道労協(組合員計四万人)で、これに北大同窓生や婦人団体の稲垣後援会が連動して運動が繰り広げられた。一方原田派は三十三年に結成された中小企業政治連盟(中政連)札幌支部(会員一万三〇〇〇人)の支援を得た(道新 昭34・4・17)。今回の市長選ははじめて労働組合が全面に出、これと保守系市議を軸とする地域組織及び中小企業組織との対抗という構図で戦われた。