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札幌開催の決定

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 札幌市への招致は昭和四十年九月三日の閣議でも了承され、政府の承認を得た。これを受けて原田市長は十月六日に、マドリードのIOC総会にて招請状を提出した。開催地決定は四十一年四月のローマでのIOC総会であり、それまでの間、広報活動、競技場建設計画などが進められていた。三月十一日には宮様スキー大会に合わせて、「一九七二年第一一回オリンピック冬季大会札幌招致道民大会」が市民会館で開かれ、「冬のオリンピックを札幌で開くことは、道民がながいあいだ胸に秘めてきた希望である」と決議文が読まれ、招致ムードが盛り上げられていた(道新 昭41・3・12)。
 いよいよ決定となるIOC総会にむけ、四月十八日に札幌招致日本代表団の原田市長ほかがローマへ出発した。決選投票は二十六日に行われ、第一次投票で札幌三二票、バンフ(カナダ)一六票、ラハチ(フィンランド)九票、ソルトレーク(アメリカ)四票という結果であり、第一次投票で過半数を獲得した札幌に決定となる。
 悲願の朗報を迎えた札幌では、二十七日朝から市内が祝賀ムードにあふれた。市の広報車がオリンピック開催を伝えて走り回り、市役所屋上には五輪旗もひるえがり、市バス、市電も日の丸・五輪旗をかかげていた。
 五月四日には原田市長の帰札に合わせ歓迎パレード、市民歓迎大会が開かれ、六日には原田市長の市議会への報告がなされ、市議会でもIOCへの感謝決議を可決していた。一方、誘致に反対していた社会党札幌総支部もこの日、オリンピックへの協力を表明している。

写真-12 招致団の歓迎パレード
右から原田與作市長,竹田恒徳実行委員長,地崎宇三郎副委員長

 誘致の中心となっていたオリンピック冬季大会札幌招致委員会は、目的を達したことより五月二十三日にいったん解散し、次の組織である札幌オリンピック冬季大会組織委員会へ引き継がれることになる。