一方交通事業所による市電沿線の除雪は戦争中同様、除雪車と沿線住民、中学生の労力奉仕で行われた。しかし二十年末の降雪でしばらくの間不通区間ができた。その理由について『北海道新聞』では、市民・学校への奉仕を呼びかけたが募集に応じてもらえなかったことをあげている。市民らが応じなかった理由として、「戦争中、上からの無理な奉仕を強要されたこと」と当時の食糧不足による体力不足をあげている。しかし、市電は市民のものであるから奉仕の強要ではないことと、一、二日の労働で復活すれば腹減らしの埋め合わせができるとし、大雪による市電不通の責任について市電当局にのみあるのではなく、敗戦後の無気力な市民にもあると評している(道新 昭21・1・8)。軌道確保の除雪については、一月末公区請負として賃金を支払うことで、市民の協力を呼びかけて主要幹線の確保を図った(道新 昭21・1・30)。
二十四年それまで除雪費は全額国庫負担であったが、この年から打ち切られた(道新 昭24・12・25)。市ではこの年主要道路除雪費として八七万円余を計上したが(昭24予算表)、追加予算二九〇万円をさらに計上した(広報 昭24・2・1)。この後除雪と雪捨て場対策は、車社会の発展により交通路確保や公共交通機関の営業確保のため、さらに防火対策などにより札幌市の大きな課題となる。
昭和二十五年「弘報さっぽろ」が発行されるようになると札幌市では盛んに除雪の必要性を市民に訴える。そして二十六年になると北海道土木現業所、札幌市建設部、札幌市交通局が札幌市内の歩道幹線、消防路線、交通局営業路線など一四四キロメートル(市内全道路の四三七キロメートルの三三パーセント)の計画的な除雪をはじめた(広報 昭26・2・1)。しかし二十六年度の除雪計画では、北海道開発局も加わったが、豊平橋から定鉄豊平駅までの区間がどこも除雪されないなど連繫の悪さも明るみに出た(道新 昭26・12・26)。また二十六年には陸運局の指導で北海道道路運送除雪援護協議会を設け国、道、市町村の道路管理者が除雪費を計上するよう運動し始め、また北海道科学技術連盟では冬季道路交通対策委員会を設けて「道路除雪が経済的になりたつ地域および除雪方式の決定」などの問題の研究を始めた(広報 昭26・2・1)。
昭和三十一年(一九五六)になると「積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法」が制定され、札幌市もその適用を受けた(九期小史)。三十二年には市内部に建設部、清掃部、交通局で除雪対策本部を設置して総合的な対策を推進した(道新 昭32・9・2、10・26、広報 昭32・12・15)。三十五年の主要事業一〇年計画では、三一両の除雪車両で約二九六キロメートルの除雪を、除雪関係車両四二両として約四七五キロメートルの市道除雪をめざした。三十六年頃からは民間のバス路線もバス会社の協力で除雪が行われるようになった(広報 昭36・12)。
さらに四十二年になるとオリンピックをめざして道路除雪五カ年計画をつくり(広報 昭42・1)、除雪対策連絡協議会を市・道・国・道警で組織して恒久的な除雪対策をめざした(広報 昭42・2)。そしてこの年からは除雪路線の延長だけでなく早く広く除雪することも重点目標とした(広報 昭42・1)。札幌市建設五年計画では、拡幅除雪延長約四八七キロメートル、運搬排雪延長約八四キロメートルを、国・道などと協力して拡幅除雪延長一二〇〇キロメートル、運搬排雪延長二〇〇キロメートルにのばすことを計画した。さらに交通安全対策として交差点や通学路の除排雪、市民への除雪助成、ロードヒーティングの実施と助成、融雪機の導入などの調査研究を計画している。
このような対策を立てることで札幌市内の除雪道路は、二十九年度一八〇キロメートル(全道路七三〇キロメートル)、三十一年度三三五キロメートル、三十六年度五三三キロメートル(市内道路の三三パーセント)、四十二年度五九二キロメートル、四十六年には九〇三キロメートルと除雪延長をのばしていった(広報 昭29・12・15、31・12・1、36・12、42・1、46・12)。
一方、三十二年からは交通局で融雪機の研究・開発を行い(道新 昭32・10・16、33・1・12、34・3・6)、また四十一年(一九六六)にはロードヒーティングへの補助をすることになり(道新 昭41・2・9、広報 昭42・1など)、除雪機械による除雪作業以外の対策も行われるようになった。各年の除雪予算は表8のようになっている。
表-8 除雪費の推移 |
年度 | 除雪費(円) |
24 | 879,600 |
25 | 3,370,000 |
26 | 3,258,000 |
27 | 2,042,900 |
28 | 2,042,900 |
29 | 2,010,800 |
30 | 1,981,000 |
31 | 2,096,000 |
32 | 2,096,000 |
33 | 3,796,000 |
34 | 4,770,000 |
35 | 6,195,000 |
36 | 6,975,000 |
37 | 8,713,000 |
38 | 9,662,000 |
39 | 10,992,000 |
40 | 12,590,000 |
41 | 17,792,000 |
42 | 84,083,000 |
43 | 234,246,000 |
44 | 261,479,000 |
45 | 311,814,000 |
46 | 398,823,000 |
各年予算書より。 昭和31年度以降原資料では単位千円だが,上記のように表記した。 |