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拓銀の再建整備と普通銀行転換

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 戦後の金融改革は特殊金融機関の存在を認めず、北海道の開発金融を担ってきた拓銀は、二十五年四月、日本興業銀行(興銀)、日本勧業銀行(勧銀)とともに普通銀行へと転換した。終戦直後からの再建整備について、『北海道拓殖銀行五十年史』は、「金融機関経理応急措置法」の施行された二十一年八月十日までを「整理準備時代」、それ以後、再建整備最終処理方法書が認可された二十三年三月三十一日までを「整理着手時代」と名付けている。すなわち経理応急措置法により、二十一年八月十一日現在で資産・負債を新・旧両勘定で決算し、以後の経営は新勘定でおこなうこととされた。ただし整備のため、実際には二十三年三月末まで決算はおこなわれなかった。また二十一年十月十九日に公布された「金融機関再建整備法」による最終処理が二十三年三月末で完了するのに伴って資本金払込額の九割が切り捨てられることになり、拓銀の資本金は一時わずかに約四一六万円となるに至った。
 拓銀の第九五期営業報告書(昭23・3決算)によると、最終処理における確定損は三億二一二二万円に達し、これから確定益九三一三万円を差し引いた額が要整理損で、これに対し積立金三四〇五万円、資本金の九割三七四七万円、第二封鎖預金中、大口法人預金の優先切り捨て額一四一〇万円、一般整理債務一億四二四七万円で補塡した。
 第二封鎖預金の三三パーセントが切り捨てられたが、これはその後の経理好調により二十八年三月五日から全額が払い戻されることになった。さらに同営業報告書によると、この間「概ね飛躍的な発展を遂げ」、二十三年三月末の新勘定における預金積金残高は七八億二四〇〇万円で対指定時(昭21・8・11)比八・〇倍増、対二十二年九月末比五・〇倍増となって「異常な好成績」をおさめ、他方、諸貸出金も四八億四三〇〇万円で対二十二年三月末比二・五倍増、対同年九月末比二・一倍増と大幅な増加をみせている。有価証券保有高は一四億一三〇〇万円(うち国債九億八一〇〇万円、社債三億六二〇〇万円など)で対指定時比八五・七パーセント増、対二十二年三月末比七五・五パーセント増、対同年九月末比五二・一パーセント増となっているが、これは主として国債買入および復金債引受増加によるものであった。また新旧両勘定合計を対指定時比でみれば、諸預金残高は七八億八七〇〇万円で三・六倍、諸貸出金残高は五一億一六〇〇万円で五・七倍、有価証券保有高は一四億九〇〇〇万円で五一・一パーセント、それぞれ増加している。
 この傾向はさらに引き続いて次期第九六期(昭23・4・1~9・30)営業報告書では「業績は驚異的な発展を遂げたと言い得る」と表現している。しかし、この背景にはインフレの昻進があり、この表現は少し割り引かれる必要があろう。ちなみに、二十一年八月に対する二十三年三月の卸売物価指数は四・八倍上昇しており、また二十三年九月には九・四倍上昇している(本邦経済統計 昭41版)。
 その後、実際に再建整備がなされ、二十五年四月一日の普通銀行への転換までが「再建整備時代」といえよう。すなわち二十三年八月二十一日、再建整備計画書が認可されて再発足の整備をおこない、十一月二十日、五億円への増資手続きを完了し、さらに二十五年六月二十一日、対日見返り資金による政府引受の優先株七億円増資で資本金は一二億円となる。また二十四年十二月には明治三十二年十二月から五〇年の設立認可期間が満了するため、同年十一月二十八日、株主総会で二〇年の期限延長を議決し、これは十二月十九日に正式認可され、二十二日に登記完了した。そして翌二十五年三月三十一日、GHQ特殊銀行廃止方針に基づいて「日本勧業銀行等廃止法」が公布されて特殊銀行は解消し、翌四月一日、興銀、勧銀とともに拓銀も普通銀行へと転換した。
 こうして終戦直後の二十年九月末から二十五年三月末までの預貸状況をまとめたのが表10である。表によれば、預金は約二〇億円から約三一一億円へ、また貸出金は約九億円から二二二億円へと大きく伸張した。インフレの影響を顧慮しなければならないとしても、確かにこれは全国銀行、市中大銀行、地方銀行の伸びを大きく上回るものであり、この時期の「道内経済の相対的な活況に恵まれ」(北海道拓殖銀行史)た結果であるともいえよう。しかし、預貸率は四二・九パーセントから七一・三パーセントに伸びたとはいえ、他行と比べ依然として低いという問題も抱えている。
表-10 北海道拓殖銀行等の預貸状況
預金    (百万円)貸出金   (百万円)預貸率   (%)
昭20年9月末昭25年3月末増加倍率昭20年9月末昭25年3月末増加倍率昭20年9月末昭25年3月末
北海道拓殖銀行2,04831,12515.287822,19725.342.971.3
全国銀行121,213875,4757.281,962744,3309.167.685.0
市中8大銀行70,466450,3396.453,480371,5366.975.982.5
地方銀行36,289253,7107.09,225199,38221.625.478.6
『北海道拓殖銀行史』284―5頁より作成。
市中8大銀行は帝国,安田,三菱,住友,三和,東海,野村,神戸の各銀行。
ただし,1950年3月末は帝国銀行から分離した第一銀行を加えた9行。

 なお店舗数は二十一年三月末から二十五年三月末にかけて一二七(うち道内一二五)から一四五(同一四一)へと増加し、従業員数も三〇二一人(昭21・4)から三六〇〇人に増加した(北海道拓殖銀行五十年史、北海道拓殖銀行史)。