昭和二十年十月五日に札幌に移駐した進駐軍は、北海道拓殖銀行本店や札幌逓信局など主だった建物を接収し市内各所に分散した。旧軍施設や役所だけでなく、民間企業の建物や個人住宅も接収した(第一章第一節参照)。
接収施設は、次々と増大し、松竹座や円山球場、総合グラウンド(昭21・5・10接収)は、米軍専用となり、定山渓(豊平町)の鹿の湯ホテルは、米軍休養所に指定された。市内の思わぬところに、「日本人立入禁止」の立札が掲げられた。接収された個人住宅は植物園近くの伊藤豊次邸、円山の醸造業者斉藤甚之助邸、中島の西鷹二邸など市内有数の邸宅であった。これらは、講和条約後の返還運動の結果、次第に返還されたが、日本間はペンキで塗りつぶされ、庭園は荒らされ、原形を止どめない程破壊されていたものもあった。