労働組合の結成と運動たけなわの昭和二十一年四月十日、戦後初の第二二回総選挙が実施され、五月一日、戦前最後の集会(昭10)と同じ生憎の小雨の中、第一七回
メーデー集会が大通西四丁目広場に復活した。戦前の治安維持法下における集会規模は、最大で三五〇人前後であったが(市史第四巻)、当日は炭鉱地帯からの参加者を含めて約五〇団体、二万人が参集した。「会場の一隅には米
進駐軍レッドフィールド労働課長らも顔を見せ、盛り上る民主勢力の結集に満足さうな笑みを湛へて見守ってゐる」中で、「祖国日本の自主独立を成し遂げて人民大衆の幸福をもたらすは、真にわれわれ労働者階級のより固き団結と犠牲的な闘ひ以外にはない」とする大会宣言が朗読され、大会スローガンは次のようであった(道新 昭21・5・2)。
△最低賃金制の確立△全国的産業別単一組合の結成△強権発動の絶対反対△肥料、農具を農民に与へよ△七時間労働制の確立△御用組合反対△生産管理で生産サボを粉砕せよ△勤労所得税を撤廃せよ△世界労働組合への参加△保守反動戦線粉砕民主人民戦線万歳△労働婦人の母性保護△婦人の隷属的地位からの解放△馘首絶対反対、
復員軍人に職を与へよ
街頭行進後の道庁前集会では、帝繊札幌工場従組の山本文代が決議文を朗読し、折から経営管理に入っていた
三越札幌支店従組委員長が、「他の組合の人々以上にはり切って全従業員が参加したのです」と語ったという(同前)。
写真-6 復活(第17回)メーデー集会(昭21・5・1 札幌)