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占領軍による札幌の衛生調査と接収

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 二十年十月五日、第八軍第九軍団第七七師団が札幌に進駐した。だがかなり早い時期に、連合国軍は日本占領に向けて情報収集と調査を行っていた。これらの調査はSWPA=南西太平洋軍が二十年八月三十一日付で報告書Special Report No. 104 Otaru-Sapporo(GHQ/SCAP文書)にまとめ、北海道上陸に当たっての先導資料とした。同リポートは札幌が地理・軍事・行政・経済上重要都市であると述べたうえで、札幌の各種伝染病の発生状況および飲用水の供給源、公娼制と性病など病気と衛生に関し、十三年(一九三八)のデータ類をもとに詳細に分析・報告している。占領軍が特に注意を払っていたのが駐屯地域の伝染病、飲用水、汚水処理、性病である。調査の目的は札幌市民の保健衛生の向上にあったわけではなく、占領政策を円滑かつ効果的に遂行し、占領軍兵士とその家族の安全と健康を守る対策を立てるための事前調査であった。
 八月下旬に札幌入りした先遣隊の事前調査を参考にして十月初め、進駐軍は建物接収を行った。目安の一つは水洗便所を備えた洋風建築であったが、米軍が検分する際に「家族が伝染病で寝込んでいる」と嘘言を使い、接収から免れた場合もあった(奥田二郎 北海道米軍太平記)。二十二年秋に完成した真駒内米軍基地は、兵舎建物だけで建設費一二億一二〇〇万円と全国一の高額であり(占領軍調達史 部門編工事)、六万坪の敷地に水洗便所を完備、下水道は延べ一八キロメートルにおよび、汚水処理は三カ所から豊平川へ流れ込む仕組みであった(昭25年、不十分な浄化装置が原因で豊平川の汚染問題を発生させた)。二十一年夏には藻岩山から直接に取水する米軍専用水道設備を完成させた。