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来札以前の「故郷」の実態

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 北海道民生部社会課では、三十五年にアイヌ民族居住地域の「不良環境地区五七地区の生活状況の実態」調査を実施し、その結果、特別な対策を講じ、生活環境の改善をする必要があると判断、これによって三十六年度から国庫補助による生活改善を要する共同施設の設置が開始された。この補助対象は、生活館、共同浴場、共同作業所、共同洗濯所、共同井戸、下水道等で、道も補助金を交付して、援助促進を図った。これにより、三十六年度には、道内に生活館五カ所(平取町ほか)、共同浴場三カ所(阿寒町ほか)の八施設が設置された。生活館は、集会場、生活上の相談、生業の指導、授産事業、技術指導、託児事業、健康診断その他診療業務、図書室の設置等の多目的な活用を提供する場所であった。さらに生活館は、産業をおこさせ経済力を培養させるとともに、児童の補習教育、技術訓練、精神指導を行い、地区内就労から、広く一般地区就労を開拓するための対策を幅広く実施する所として位置けられていた。生活館等、これら共同施設設置事業を北海道では、「北海道不良環境地区改善施設整備事業」と呼んでいた。三十七年度に実施した共同施設設置事業は、生活館をはじめ、共同作業場、共同井戸等一八カ所に及んだ(北海道ウタリ協会 先駆者の集い 創刊号 昭38 北海道ウタリ協会 アイヌ史 北海道アイヌ協会北海道ウタリ協会活動史編 平6 所収)。また三十七年度には、日高支庁においてはじめてアイヌ民族の生活実態調査が行われ、三年後にその報告書として日高支庁から『日高地方におけるアイヌ系住民の生活実態とその問題点』(昭40)として刊行され、アイヌ民族の抱えている問題点が指摘された。その後、改善施設整備事業はさらに拡大され、四十六年度からは、共同便所、地区道路の整備等、事業の種類も増加された(同前 第2号 昭46)。
 しかし、戦後になっても「北海道旧土人保護法」は厳然として存在し、「北海道観光とアイヌ」のイメージを払拭することは容易なことではなかった。アイヌ民族の多くは、新憲法下にあっても、アイヌ民族であるがゆえに、教育・労働・住宅問題等さまざまな形で差別を受けていたのが現実であった。
 三十年代後半の高度経済成長期以降、北海道においても全道各地の炭鉱・農漁村から都市部へ人々が就学・就職の機会を求めて集中し始めた。これによって、アイヌ民族が生活基盤としていた農漁村においても例外ではなく、過疎化の進行に一層拍車がかかり、アイヌの人々が故郷を去って札幌をはじめとする都市部へ生活手段を求めて移動せざるを得なくなった。