北海道第一師範学校附属国民学校では、指導要領が出される前から新教育に対する研究がすすめられた。たとえば二十一年十月四日には、六〇周年記念研究大会を開催し、新しい学習指導法の一環として、討議法・グループ学習・自由研究などを取り上げている。また二十二年二月二十四日から五日にかけては、社会科の実験的授業を公開している。学習指導要領が発行されると、新教育に対する研究はますますさかんになった。たとえば、文部省主催・CIE後援により、二十三年三月九日から新教育研究協議会が開催された。会場は幌南小学校と柏中学校であり、国語科、社会科の学習指導要領の趣旨とその取扱いを文部省係官が説明し、あわせて実施上の諸問題の研究協議を行った。授業公開もあり、CIEのルナ・ボールズの指導の下に研究協議も行われた(北海道教育史 戦後編二の一)。その後も行政側による研究会・協議会が続々と開催された。二十四年七月二十五日から二十九日にかけて北九条小学校で開催されたワークショップ北海道地区小学校教育研究集会や、二十四年十一月に東小学校と向陵中学校で開催された札幌市総合教育研究大会などである。
各学校でも研究をすすめ、公開研究会がさかんに開催された。早い時期のものでは、二十二年十月十五日から十六日開催の北海道第一師範学校附属札幌中学校の「中学校社会科についての実践研究」や十月二十七日開催の一条中学校の「新制中学校の研究」などがある。なかでも北海道第一師範学校附属札幌小・中学校による教育課程研究会(昭24・3・7~9)は、参会者が二〇〇〇人をこえ、「全道の教育実践史上に、一時代を画した」といわれた(札幌の教育―学制100年・新学制25年―)。この研究会ではコア・カリキュラム的色彩の強い「北一師附小の教育計画」が発表され、梅根悟東京文理科大学教授による講演会や公開授業が行われた。コア・カリキュラムとは、アメリカのバージニアプランなどを起源とする教科の生活化・統合化を意図したカリキュラムであり、児童・生徒の生活上の諸問題を解決するための単元学習からなる中心課程と、これを支えるものとしての専門分化した体系的な知識・技術・芸術などを含む周辺課程から成り立っている。何を中心課程にするかについては様々な立場があったが、「北一師附小の教育計画」では社会科・家庭科・理科を中核としている(北海道教育大学教育学部附属札幌小学校 百年史)。北海道第一師範学校女子部の代用附属小学校であった幌南小学校でもコア・カリキュラムに関する研究が行われた。二十四年七月六日から七日にかけて、「現行教科のもとにおける中核学習と基礎学習の指導の実際」を主題として、研究大会が行われた。「コア・カリキュラムの合理性を指向して、生活から出発し、生活をより高く発展させるよう、カリキュラムの編成を地域社会に中核をおき、教科の系統を生かした基礎学習で構成していく」(開校五十周年記念誌 しんじゅと共に)という考え方で、公開授業が行われた。
このようなコア・カリキュラムに対して批判的な意見もあった。『教育建設』第二八号には、二十三年十月八、九日に開催された北海道第一、第二、第三の三師範共同の教育研究会について、一条中学校の藤田喜一の批判が掲載されている。藤田は、現実の日本がおかれている状況に言及し、このカリキュラムを実施するには次の三条件を解決する必要があるとする。それは「(1)教員が優秀であり、少なくとも数年間は、同一学校に固定すること。(2)教育評価の方法がある程度解明されること。(3)新教育実施に異常な熱意をもつこと」である。さらに次のように述べている。
今回の公開授業は、地方教育の実態から見て、あまりにその差が大きかったのではあるまいか。(中略)単元とは何か、単元学習とは何か、の解決も、まだ一種の傾向すら生じない中に、(中略)科目のワクをはずしてカリキュラムに接したのであるから、非常に戸まどいしたことと思われるのである。(中略)条件のそろった附属校あたりでこそ、やれるものであり、他の大方は、教科目の中で、単元学習の本体を究めるのが、本道の現段階ではあるまいか。
(教育建設 第二八号)
確かに藤田の言うように、多くの教員は、新しく登場した「カリキュラム」「スコープ」「シークエンス」といった外来語にとまどい、模索していた。しかし北海道第一師範学校の伊藤茂は、藤田の批判に対して「この三条件がいつできる見通しを持っているのか」とし、つぎのように述べている。
藤田氏の三条件は、教育計画を立てて実施していけば、そこからできあがり、発見されるものが多い。「なすことによって学ぶ。」はこどもに要求するだけでなく、教育者自身の問題である。(中略)道教委、附属などで実験的に研究していくことは必要である。(中略)貧弱であってもその一部を発表したり、つたない授業を公開し、教育実践からの批判を希望しているのであり、りっぱにまとまるまでかくしておき、世間をあっと言わせる考えは毛頭ない。
(教育建設 第三〇号)
この論争は、のちの「基礎学力の低下」という問題と絡めて、「経験主義がよいのか、系統主義がよいのか」といった論争に展開していくことになる。