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成人教育の軸・成人学校

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 戦後社会の混乱と生活苦の中にあっても、自由と解放の雰囲気の中で、市民の学習意欲は盛んであった。戦後いちはやく英語講座、労働文化講座、憲法学習などが市民の有志によって始められ、活況を呈した。これらを含めて市教育部(社会教育課)が主催する諸行事(成人、青年、女性などを対象とする各種講座、各種展覧会、展示会など)への延参加人数は、昭和二十六年(一九五一)で約三二万人を数えた(ちなみに札幌市人口約三七万人)。
 このような幅広い社会教育活動のもとで、二十六年、北海道教育委員会の成人学校開設に呼応して、札幌市においても同年四月、第一回市民教室(二回以降成人学校と改称)を開設し、以後、成人教育の中核と位置づけて逐次拡充してきた(札幌市教育委員会 成人学校四十年の歩み)。
 表10に示したように、成人学校は開設当初から受講者が三〇〇〇人を超え、以後、七、八〇〇〇人の規模を維持するという盛況ぶりであった。開講科目も、憲法、哲学、政治、経済、文学などの教養講座的なものから、映画・演劇、珠算、手芸、洋裁、社交ダンス、ロシア文学、簿記など趣味、実用的なものまで幅広く、以後、時代の移り変わりとともに変化しながら拡充し、昭和四十年代には科目数が約一六〇に達した。また、受講者の約三分の一は二〇代、次いで三〇代であり、そのほとんどが勤労者(会社員、公務員など)であった。
表-10 成人学校の推移
年度回数
(回)
開設期数(期)科目数
(科目)
受講者数
(人)
昭261~ 55643,150
 3018~ 214703,442
 3539~ 4351036,740
 4064~ 6851156,334
 4589~ 9351508,134
 4799~10351587,826
札幌市教育委員会『成人学校40年のあゆみ』(平4)より作成。

 初回の会場は市民会館であったが、以後は小学校を会場として行われた。また、各講座ごとに懇談会を開き学級委員を選出し、受講生、講師、主催者(行政)の三者による学級運営がなされた。受講料は、当初、一回(二時間)一〇〇円(一科目、二五〇〇円~六〇〇〇円程度、当時の全国平均月額給与 約一万五〇〇〇円)であったが、二十八年に倍額(二〇〇円)にしたところ受講者が半減し、再び一〇〇円にもどし、受講者数が倍増する、という一幕もあった。
 四十七年、札幌市が政令指定都市となり区制が敷かれ区民センターが設置されたことに伴い、全市的な成人学校は区成人講座(区民講座)となり、地区(コミュニティ)センターなどが行う講座とともに、それぞれ地域的な特徴を持つことになる。
 さらに社会教育施設の積極的な利用と結合して、市民文化祭、中島野外劇場、青少年芸術劇場、市民劇場など芸術・文化の振興にも力が注がれた。