三十三年六月に新たに豊平町公民館条例が制定され、旧役場庁舎を改造した月寒会館内に公民館(写真6)が設置された(現月寒中央通七丁目)。また、八月一日に併せて地区公民館が平岸、清田(厚別会館)、定山渓(定山渓会館)と設置され、石山(昭33・12)、簾舞(同)にも設置されていった。三十六年に札幌市との合併により札幌市月寒公民館となり、現在も利用されている。
写真-6 月寒公民館(昭34頃)
手稲町では三十年度以来、社会教育目標の第一に「公民館活動の促進」を掲げ、公民館設置の促進をはかるようになった。手稲町公民館は、「昭和三十年頃全町民こぞって公民館建設への要望がたかまり、特に婦人団体など町内諸行事ある毎にバザー会など催し労力奉仕によってその益金等を公民館建設資金として積立、町当局へ建設指定寄附を行」うなど、「意欲的な運動による熱望」によって設置にいたったものであった(北海道公民館二十年史)。町では三十六年策定の五カ年計画に建設を盛り込み、三十八年に建設に着手した。場所は役場庁舎付近の現本町三条一丁目、六月に着工し十月一日に開館(開館式は十月十日)し、社会教育の基幹施設として利用されていった。四十二年に札幌市との合併後は、札幌市手稲公民館となったが、六十年十月十九日に手稲コミュニティーセンターが設置されてその役割を終えた(十月五日の使用をもって閉鎖)。