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市民スポーツ施設への関心

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 市民スポーツの興隆の影には、スポーツ組織の定立と、スポーツ大会などの行事の展開があった。二十一年八月、「競技スポーツの復興とスポーツの大衆化」の理念のもとに、日本体育協会の主要な事業の一つになった国民体育大会が宝塚市で開催された。当時、国体選考会のほとんどが札幌市で開催され、また本道代表団に占める札幌出身選手の比率は高かった。市体育連盟のスポーツ活動は、国体をはじめとする国内大会の充実によって一層強化された。
 表14は、『道新』のスポーツ記事を手がかりに、二十一年から二十二年におけるスポーツ行事の実態を示したものである。これによると、戦後スポーツの復興はスキー、野球、庭球、陸上競技を中心に始められたといえる。これらは戦前から市民に広く愛好されたスポーツであり、強固なスポーツ組織を形成していた。こうした市民スポーツの伝統に支えられて、敗戦後の民主的スポーツ運動の高揚の中で、これらのスポーツがいちはやく市民スポーツの表舞台に登場し得たものと解することができる。しかしながら市民スポーツを促進させる上で、「スポーツの場」の確保は重要な課題であった。
表-14 戦後初期の札幌スポーツ小史(昭和21, 22年)
年月日事項
昭21年 4月 2日札幌市民武道場を市民体育会館として開放。
   3.31札幌スキー連盟主催,大倉シャンツェ飛躍大会。
   4.29札幌陸上競技協会主催,再建マラソン大会。
   5.28札幌地区第一回籠球大会(市立高女)。
   6.15道新主催,全道実業野球大会に札鉄,札幌倶楽部出場。
   6.20大通広場に市民グラウンド建設方針決定。
   7.22第一回全札幌排球大会。
   8.11札幌市体育連盟結成。
   8.16全道少年野球大会(円山球場)。
   8.21全札幌陸上競技選手権大会(円山競技場)。
   9.24進駐軍米式蹴球試合(円山競技場)。
22. 1.21第二回全国中等学校スキー選手権大会を札幌で開催。
   2. 8第二回全道スキー選手権大会を札幌で開催。
   2.11札幌氷上競技連盟主催,氷上カーニバル(中島公園)。
   2.15第一回全道工場鉱山スキー大会(円山・大倉シャンツェ)。
   2.21第二回国民体育大会北海道予選会を札幌で開催。
   7. 5全日本軟式野球大会北海道大会を札幌で開催。
   7.27CIE体育担当官ノヴィル少佐,来札。
   8. 9マッカーサー杯軟式庭球大会北海道予選会(大通コート)。
   8.15復活第一回青年陸上競技大会(札幌一中)。
  11. 3第一回全道ラグビー選手権大会(北大グラウンド)
『道新』より作成。

 市民スポーツ施設の初発は、二十一年四月に大日本武徳会道支部の武道場を市が買収し、これを市民体育館として市民に開放したことに始まる。卓球、籠球などのスポーツや、保健体育団体の集会所として活用されたこの施設は、のちの札幌市立体育館(写真10)の先駆であった。戦後スポーツの復興は、荒廃した施設を復旧することが第一条件であったことから、運動場、陸上競技場、野球場、スキー場など市民の利用度の高い施設から改修・復旧が計画された。二十一年には大通公園の復旧計画が示され、新しい公園づくりの構想の中に市民グラウンド建設の話が持ち上がり、市民の注目を集めた。「野球、庭球場などを揃へ大通に市民グラウンド建設」という次の新聞記事をみてみよう。
スポーツ復興に応へ札幌市役所では予て市内の大通六丁目から十一丁目の広場を市民グラウンドに改造し、野球場、庭球コート、排球コート、相撲場などの施設を計画中であったが、近く本格的工事にとりかかることになった。地理的条件に恵まれたこの利用価値と娯楽スポーツの直結となり、国民体位の向上は勿論市民の生活に一段の明朗さを与へよう。市民スポーツ団体の勤労奉仕、施設資材の供給を希望しており、これに関しては近く各団体と懇談する予定。
(道新 昭21・6・20)


写真-10 昭41に新築完成した市立体育館(北1東6)

 市は市民のスポーツ要求にこたえるために、当時全国的にも珍しい都市中心部にスポーツ施設を新設し、その建設に際してスポーツ団体に勤労奉仕と施設資材の供出を要請した。八月二十五日に市民グラウンドが完成したが、「建設に協力した市民は二千名にのぼった」(昭21・7・2)と、『道新』は報道している。