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体育振興会

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 スポーツ振興法制定後における市の社会体育行政の特徴の一つに、市民スポーツ施設の整備が挙げられる。昭和三十九年より、市は「スポーツ施設三ケ年計画」を策定し、その手はじめとして近代的な総合体育館の建設に着手し、昭和四十一年にこれを一般開放した。この体育館は、延面積五〇〇〇平方メートルの鉄筋コンクリート四階建で、一度に多種目の運動競技が行えるのが特徴であった。屋外体育施設については、既に三十六年より美香保競技場(バレーボールコート・テニスコート)、月寒運動場(野球場・ラグビー場・テニスコート)が整備され、市民に利用されている。かかる大規模な公共体育施設の建設は、本格的な市民スポーツの幕あけを意味する。こうした行政側の市民に対する「スポーツの場」の提供とともに、一方では市民スポーツ団体の組織化が地域で進められたことは注目される。すなわち、地区連合の体育振興会の結成であり、それは今日の町内会単位の体育振興会ないしスポーツ振興会の先駆けをなすものであった。平岸地区体育振興会は、市内で最も早く結成された振興会であった。その結成は三十六年であり、当初九地区が一体となり、町内会・地区商工振興会・婦人団体を協力団体として成立をみた。なお、平岸地区体育振興会のその後の定着をみるために、結成四年後の同会の行事案とスポーツ組織の実態を表16として示しておきたい。
表-16 平岸地区のスポーツ行事予定(昭和40年)
 7月初旬町内卓球大会
8月下旬地区体育祭大運動会
9月初旬町内バレーボール大会,野球大会
9月下旬町内バスケットボール大会
1月中旬町内スキー講習会
町内スポーツクラブ卓球クラブ会長 末広政二郎事務 北村教諭
バスケット会長 沢田誠一事務 村本氏
野球会長 江指栄太郎事務 石田教諭
バレーボール会長 荒川善太郎事務 桑山教諭
柔道会長 牧野重太事務 森本氏
剣道会長 中井久作事務 池長昭
札幌市体育指導委員連絡協議会「友穆」(昭40.7)より作成。

 体育振興会の結成は四十年を境に活発化し、その後「東札幌地区体育振興会」、「厚別地区体育振興会」、「山鼻地区スポーツ振興会」、「鉄北地区体育会」、「石山地区スポーツ振興会」、「新琴似地区スポーツ振興会」が相次いで結成された。体育振興会の事業としては、講習会や大会の開催、市のスポーツ行事への参加、地区内スポーツ施設の充実・運営などであったが、地区の日常活動に重点を置いたスポーツ指導と活動の方法、行事に際しての経費の捻出問題など、解決すべき課題が残されていた。
 地域のスポーツ活動の促進に、学校が果たす役割は大きかった。とりわけ地区のスポーツ行事やクラブの日常的活動は、学校諸施設を使用して行われることが多く、また学校職員の協力なしには不可能であった。それゆえ、地域と学校との連携は市民スポーツ成立の前提条件であるといえよう。市体育指導委員の構成を過半数の学校教員としたことは、こうした事態に備えた行政側の配慮であったと思われる。