終戦直後、道展と全道展という二大公募展の並立で幕を開けた美術界は、昭和三十年代になって新道展が結成されたことにより、三大公募展を中心として個人展やグループ展が開催されるようになっていく。
二十年十一月、二科会が分裂して行動美術協会が結成された。同時期、札幌に行動美術協会北海道支部が置かれることとなった。行動美術協会は「画壇の中央集権的体制の弊害を巡回展によって打破しようという信条のもと」(美術史)、東京の本展が終わると九州から北海道まで、一年がかりで地方展を開催した。北海道では、函館、札幌、芦別、室蘭で開催されている。札幌展が始まったのは二十二年からで、三十七年の一六回展まで続いた。
この北海道での企画に当たり、創立会員であった田中忠雄は「行動美術北海道地方展覧会目録」(昭22)において、「この旅行難では東京へ展覧会を見に行くことも容易でない。と云って向ふから作品をもって来ることもこの物価事情や輸送状況では我々非力のなし得るところでもない」とし、「東京三越で開かれる行動美術試作展をそのまま持って来る事を考えた」と語っている。結局、この時は東京の会期が繰り下がったために実現せず、手持ちのものや新作を送ってもらったという。北海道には道展や全道展といった公募展があるので、「公募制を採らずに、招待制を」と考えたのだった(行動美術三十五年の小史)。
このほか、二十一年八月一日に「自由な美術、新しい美の創造、自由な発表」を目標とする北海道アンデパンダン美術連盟、二十二年十一月に、東京女子美術専門学校出身、同窓の女性で結成された北彩会、二十七年九月二十日に「新しい国民美術の創造へ」という標題の創立宣言を行った北海道生活派美術集団等さまざまな美術集団が結成された。