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合同公演の推移

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 昭和三十三年七月、札幌市民会館が新築され、その有効利用を目的として三十四年三月から札幌市民劇場がスタートする。会場使用料が高いなどの不満に応え、月二回の遊休日を利用して地元の団体に無料開放するという市の構想で、市内芸術団体から選ばれた代表からなる運営委員会が運営する。入場無料が原則だったが、三十五年からは年一回、特別公演として有料が認められ、市が助成金を出して各ジャンルが順に大規模な作品に取り組むことになった。三十六年九月、第二回特別公演としてシェイクスピア『十二夜』公演が実現した。札演協(札幌演劇協会、三十二年四月結成、前述五條彰の項参照)の合同公演として上演され、演出はくるみ座の緒方浩司であった。当時の加盟団体は、アトリエ座、くるみ座、創造、せかち、十日会、にれ、劇団さっぽろさっぽろ芸術座ほりぞんと・ぐるうぷである。三十年前後から創立され、個々に力を蓄積した劇団が一堂に会して大きな舞台を成立させたことは、ひとつの達成とその後への転換点となった。以降、三十九年に企画された『石狩川』(前出)は、原作の脚色をめぐって大きく意見が割れたが、五年後の四十四年に『オセロー』(梅津齊演出)、四十六年『どさんこ花子』(本山節彌作・小南武朗演出)がさっぽろ市民劇場特別公演に取り上げられ、『どさんこ花子』では高校演劇と青の会(後述)でめざましい創作活動を続ける本山の世界を、千田モト振付による群舞が加わって表現した。

写真-14 さっぽろ市民劇場第2回特別公演「十二夜」(昭36.9)

 四十年以降、市内劇団の合同公演は札演協に限らず、自在に連携して行われるようになる。主なものを列挙すると、新劇場と劇団さっぽろの『郡上の立百姓』(四十三年)、にれと新劇場の『イルクーツク物語』(四十八年)があり、また久保栄文学展開催記念『林檎園日記』(佐々木逸郎演出/四十八年)は、市内六劇団とフリー演劇人が作品への共感によって結ばれた合同公演だった。「ミンナを上演する会」による『ミンナ・フォン・バルンヘルム』(レッシング作/四十九年)は、ゲーテ・インスティトゥート派遣のミヒャエル・ミュンツァーによる二年間の演劇講習会修了公演として、講師ミュンツァーと津川良太が演出し、修了生等、在札演劇人による形を変えた合同公演だった。