占領軍は昭和二十年(一九四五)十月から二十四年まで、新聞・ラジオ放送・出版物・通信および映画等のあらゆるメディアに対して検閲を実施した。この時検閲を担当していたのは民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment CCD)で、出版物のゲラ刷り二部を提出し、日本の軍国主義や反米記事の掲載といった違反がなければCP印(Censor Pass Stamp)が押され、出版が許可された。問題があった場合は、CHANGE(語句の変更)、DELETE(削除)、HOLD(処分の一時保留)等の指示にしたがって処分された。最悪の場合、SUPPRESS(発表・掲載・発行禁止)となることもあった。
道内出版社のゲラ刷りは、二十三年九月まで東京所在のCCDに送付していたが、同年十月からは札幌のCCDで検閲を受けることとなった(出村文理「戦後北海道の出版事情」)。
北海道での検閲活動の拠点は札幌市に置かれ、市内での検閲が開始されたのは二十一年五月頃と推測される(出村文理「戦後占領期・札幌市の出版ブーム」)。新聞は北海道新聞社(大通西3)、放送及び出版関係はNHK札幌中央放送局(中島公園内)、通信・手紙類は北四条西五丁目にあった建物(現アスティ45ビル付近)で検閲が行われた。二十四年十月三十一日付で一切の活動を終了するまで、検閲は続けられた。