戦後新興紙の旗揚げと、東京三紙が札幌、函館、旭川で傍系紙の発行に乗り出したことへの対応策として、道新は札幌本社と函館、旭川支社から夕刊を発行することを計画した。GHQの方針として、既存紙には新規の新聞発行は認められなかったため計画を変更し、新たに独立会社を設立しての発行となった。昭和二十一年六月には三万部の用紙割当が認められ、同二十六日に有限会社「北海タイムス社」が設立、八月三十一日に、二頁建ての「夕刊・北海タイムス」が創刊された。しかし、札幌の三万部を確保するのが精一杯で、当初の計画であった函館、旭川での発刊は見送られた。
この同時期に創刊された『新北海』と『夕刊・北海タイムス』の合併案が持ち上がったのは、二十四年八月十五日、新北海新聞株式会社臨時株主総会においてである。九万部という用紙割当では将来の経営に不安があること、事業能力面においても輪転機は毎日新聞社からの賃借であり、道新の対抗紙として「言論報道の使命を果たす」ため、事業能力の増強と自立体制の確立が急務であること等が、合併の提案理由として掲げられた。
北海タイムス社も同じ趣旨であったことから、二社を合併して事業能力の拡充を図ることで意見が一致し、北海タイムス社は、新聞「北海タイムス」の営業全部および所有する高速度輪転機一台、これに付属する電動機ほかの一式、一カ月(三十一日)九七九連の新聞用紙割当受給の権利を新北海新聞社へ譲渡することとなった(北海タイムス三十五年史)。
こうして二十四年十月一日、「新北海」は「北海タイムス」と改題された。その後、二十八年に「東北海道新聞」(釧路)、三十三年に「北海日日新聞」(旭川)を吸収合併し、平成十年(一九九八)九月に廃刊となるまで活動を続けた。