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戦後伝道とアメリカの影響

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 GHQの最高司令官であったダグラス・マッカーサーが日本のキリスト教化に熱心であり、そのために宣教師の大量派遣をアメリカのキリスト教界に要請したことは知られている。それが彼の個人的な願望であったとしても日本におけるキリスト教文化の拡大は、アメリカ国民の支持するところであり、対日戦略の背景にある思想でもあった。このような事情から宣教師の派遣に当たっては、GHQの便宜が供与されることも少なくなかった。
 カトリック、プロテスタントを問わず、日本の諸教会は欧米のキリスト教界との関係を回復し、物心両面の支援を受けることになる。昭和二十一年から二十二年にかけて設置された、カトリック復興委員会、プロテスタントの内外協力委員会がその機関であった。このような組織を通じて、食糧・衣料、罹災会堂の復興のための物資と資金が、またアメリカ聖書協会から日本語の聖書・讃美歌が大量に送られてきた。それらの物資はキリスト教界の外にも給付され、教会の対外活動の一端となった。
 戦時下に宗教団体を統制していた宗教団体法が廃止となり、二十年十二月宗教法人令が公布される中で、キリスト教界の再編成が行われる。まずカトリックであるが、同年十一月宗教団体法で認可されていた日本天主公教教団を解散し、天主公教教区聯盟(現カトリック中央協議会)を結成した。プロテスタントでは、日本基督教団は引き続き存続したが、聖公会救世軍バプテスト連盟、福音ルーテル教会など信条や教会組織を異にする旧教派の離脱あるいは再建が二十年から二十二年にかけて続いた。戦時下で解散させられた第七日基督再臨教団(現セブンスデー・アドベンチスト教団)も再建された。ハリストス正教会は、モスクワ総主教庁との関係回復を図ったが実現せず、これと対立していた在米ロシア正教会と関係を結びその下に入った。