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山神碑

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 南区内には複数の山神碑があるが(表6)、いずれも鉱山、硬石・軟石の採掘に関係し、作業の安全を祈願する意図で設けられたものである。硬石山の山神碑もその一つで、明治二十一年(一八八八)の北海道庁舎新築の際には、硬石山から石材が切り出されることになり、石場は盛況を極めたという(さっぽろ藻岩郷土史)。山神が石場で働く石工の安全を司る神であったことは、次のような語りの中にも表れている。
安保氏宅の前の山は、現在岩石が露出しているが開拓の頃は土に覆われて鬱然とした森林であった。その木を伐採して足場を作った切り羽から採掘した岩石を大割りにして山の斜面を転落させてやると、それらの石は、傾斜のややゆるくなった地点に建立された「山の神」碑の前でぴたりと止まってしまう。石工達は、岩石を山下に集めて運搬しやすいようにと作業する者達に怪我をさせないようにと「山の神」さまにお世話をかけてはいけないと、佐藤治衛門氏が率先して、明治三十七年に安保寅雄氏宅に安置した。
(さっぽろ藻岩郷土史)

表-6 南区内の山神碑
碑石概要
山神社碑豊羽鉱山山神境内にある石碑。豊羽山神社の起源である神体。鉱山守護の願いから大正5年(1916)に建立されたもの。昭和35年(1960),グラウンド工事に伴い現在地に移転。裏面に元山有志一同と刻まれている。
山之神社碑藻岩神社境内にある碑。藻岩神社の起源である神体。割栗の自然石を採掘して長三角形に削り「山之神社」と刻み建立したもの。鳥居を建てて大山祇神を奉斎し鎮座神としたもの。明治29年(1896)9月12日建立。
山の神社碑中の沢神社境内にある石碑。中の沢神社の起源である明治28年(1895)建立の「山の神」依り木を,同32年12月12日に石碑として建立したもの。「山の神社 講 八垂別 五号沢」と刻まれている。
山乃神碑石山神社境内にある石碑。石山神社の起源である神体。明治24年(1891)に石山一区の辻石材店の裏,平岸村字穴の沢に建立されたものを,同43年現在地に移転した。「山乃神 石山組中」と刻まれている。台座裏に由来と建立者名を記した板がはめ込まれている。
山の神碑石山神社境内にある石碑。長三角形の碑に「山の神 玉井石工」と刻まれている。石山2条2丁目山の手町内会が荒井宅地先に建立されていたものを,平成2年(1990)9月に移設した。
山乃神碑硬石山に集められた石碑の一つ。佐藤新治が昭和9年(1934)12月に建立したもの。佐藤が入山する際にヤチダモの古木の根本に20匹ほどの蛇がからみあっていた。佐藤は山の異変の前触れでないかと案じ「山鎮」のために同碑を建立とたという。
山之神碑豊滝神社境内にある石碑。明治41年(1908)7月に旧滝の沢神社を創建。同年9月7日に同碑を建立した。台座に建立年月日が刻まれている。平成8年(1996),神社移転の際に社殿裏手に祠を作り納めている。
山之神碑澄川の紅桜公園の開拓神社境内にある石碑。阿部与乃助の山林内の精進川沿いで行われていた硬石の採掘の安全を祈願して,石切り場に大正10年(1921)に建立されたもの。
みなみ区ふるさと小百科より作成。


写真-15 山の神碑(石山神社)

 同様に、表中にある太いヤチダモの根本に蛇がからみあっていた様子を山の異変と解し、「山鎮」をしたという山乃神碑縁起譚も作業の安全祈願を主としたものである。
 山の神の祭神を記紀の大山祇神としていることも共通している。硬石山には複数の山神碑が集積していながら、いずれも「氏子や講中を持たず、石屋の中から敬神の念篤い人が主体となりお祀りしており」、昭和十八年三月に札幌硬石株式会社が組織されると、祭事の主体が企業へと移っていった(さっぽろ藻岩郷土史)。