昭和四十七年当時に札幌市内の鉄道駅は、函館本線には、手稲、琴似、桑園、札幌、苗穂、白石、新札幌、厚別、千歳線には、東札幌、月寒(つきさっぷ)、大谷地、上野幌、札沼線には、新琴似、篠路、東篠路、釜谷臼があった(概要 昭47)。
四十年からの千歳線の付け替えで、その開通とともに四十八年九月九日新札幌駅が開業し、新ルートからはずれた大谷地駅は廃止、東札幌と月寒駅は、白石駅接続の函館本線の貨物支線となり(月寒駅は昭51・10・1廃止)、それにともない直前の七月十六日新札幌駅が札幌貨物ターミナル駅と改称した(北海道鉄道百年史 下、概要 昭52)。
五十一年の新長期総合計画では、総合的な交通体系を確立するために、函館本線と札沼線に中間駅の設置を図ること、乗降客の増加が著しい駅の駅舎や駅前広場の整備とバスの乗降場の設置を図ること、千歳線の電化を促進することなどをあげている(新長総)。千歳線の電化は、五十三年六月二十一日に起工式を行い、五十五年十月一日から営業を開始した(道新 昭55・10・1)。中間駅の設置は、五十九年九月森林公園駅開業、六十年十月星置駅開業、(概要 昭61)、六十一年六月百合が原公園駅、十一月には平和、発寒中央、発寒、稲積公園、稲穂、新川、太平、あいの里教育大の各駅が開業(概要 昭62)、平成七年三月十六日ほしみ駅開業、東篠路駅が拓北駅に、釜谷臼駅があいの里公園駅に、それぞれ改称した(統計書 平7)。
手稲駅は、老朽化した駅舎を札幌市が国鉄を援助する形で新駅舎を建設し、駅の北側に広がる前田地区との連絡する通路を含めて整備を進めた(道新 昭54・12・9)。また星置駅のように、線路の南北を結ぶ通路も含めて橋上の新駅を建設するところでは、民間デベロッパーなどで結成した新駅設置促進期成会が工費六億円全額を負担するところなどもあった(道新 昭59・11・5夕)。琴似駅や桑園駅のように鉄道の高架化に合わせて新駅舎とし、駅周辺の整備も合わせて行ったところなどがある(第3次札幌市長期総合計画 札幌市5年計画(昭和63~67年度)昭63・3)。