ビューア該当ページ

従業員数推移と鉱災害

351 ~ 354 / 1053ページ
 このような生産を支える従業員は昭和四十八年以降、次のような推移をたどった。すなわち四十八年四月一日現在五八四人であったが、日本鉱業(株)からの分離・独立にいたる過程で一気に一〇〇余人が山を去り、翌四十九年四月には四一〇人となった。その後、増減を繰り返して五十六年度末には四七六人(請負を含めて五四四人)まで戻したが、結局戦後のピーク(昭和四十二年六八八人)に達することなく、それ以降は先に見たような機械化・自動化・省力化等の進展もあって傾向的に減少し、平成十五年度末には一七四人(同二〇四人)となっている(表76、表77)。
表-76 豊羽鉱山従業員数推移(昭和48~55年)
昭48584
 49410
 50436
 51477
 52452
 53441
 54417
 55423
各年4月1日現在。
豊羽鉱山30年史。

表-77 豊羽鉱山従業員数推移(昭和55~平成15年度)
従業員請負組員
昭5543997536
 5647668544
 5746666532
 5845670526
 5947346519
 6044432476
 6137829407
 6235528383
 6333168399
平 131672388
  230958367
  330554359
  429356349
  525626282
  625638294
  723436270
  822141262
  922040260
 1021841259
 1121341254
 1219945244
 1317435209
 1417541216
 1518123204
各年度末。
豊羽鉱山株式会社総務課より。

 昭和四十八年度以降の事故による被災者数の推移については表78のようである。
表-78 豊羽鉱山における被災者数(昭和48年度~)
死亡重傷軽傷
昭4827716
 4925613
 500314
 510415
 520303
 531203
 540303
 5504711
 562608
 571506
 581214
 590325
 600202
 612316
 621315
 631315
平 10000
  20303
  30224
  42507
  50202
  60134
  70000
昭和55度までは豊羽鉱山30年史、それ以降は豊羽鉱山株式会社総務課より。

 このうち平成四年(一九九二)の二人の死亡事故は十二月二十三日に地下六〇〇メートルの川上坑で発生したもので、岩盤内に閉じこめられていた高温の水蒸気が噴出して被災するという国内では前例のないものであった。当時の新聞によると、その日の午後四時半頃、発破作業をしていた請負の坑内作業員Aさん(男性、二三歳)が爆薬を仕掛け、約一八〇メートル離れた所から遠隔操作で爆破させたところ、熱風が坑内を走り、Aさんと、その後方約二〇〇メートルで作業中のBさん(男性、五三歳)を襲った、というものである。二人は市立札幌病院に運ばれたが、Aさんは全身火傷によってすでに死亡しており、Bさんは五日後の二十八日に広範囲の火傷による多臓器不全で死亡した(道新 平4・12・24、25、28夕、平6・1・25)。
 八年度以降、新聞報道された死亡事故としては次の二件がある。一件目は十年八月三十一日に地下五五〇メートルの採掘現場で発生、火薬が暴発して作業員(男性、三五歳)が死亡したというものである。二件目は十二年十月四日に地下三〇〇メートルの坑道で発生したもので、社員(男性、三二歳)が縦一メートル、横一・五メートル、厚さ四〇センチ、重さ約八〇〇キログラムの岩盤崩落によって圧迫死している(道新 平10・9・1、2。同12・10・5、6)。
 鉱山等の坑内で働く場合、十分な防塵対策が講じられなければ塵肺という疾患に罹ってしまう。古くから鉱山特有の職業病と言われた、いわゆる「よろけ」である。この対策を怠ったとして豊羽鉱山が提訴されたことが二度ある。一度目は昭和五十五年(一九八〇)、豊羽鉱山や大手の日本鉱業、住友金属鉱山等を含む一一社が一二一家族に提訴されたもので「北海道金属塵肺訴訟」と呼ばれ、これは一二年後の平成四年七月に「差別なき原告全員救済」の全面的和解が成立している。和解金の基準額は死者一八〇〇万円、生存患者一三〇〇~一六〇〇万円であり、四家族に訴えられていた豊羽鉱山の分は親会社である日本鉱業が負担した(道新 平4・7・15、および28日付け各紙)。
 二度目は十四年八月、豊羽鉱山元労働者一六人が「塵肺になったのは鉱山側が安全配慮義務を怠ったため」として豊羽鉱山のほか、親会社の日鉱金属(株)、ジャパンエナジー(株)計三社に対し、一人あたり三四五〇万円の損害賠償を求めて提訴したものである。同年十月に第一回口頭弁論が開かれたが、会社側は請求棄却を求めて争う姿勢を示し、十六年五月現在、札幌地裁で係争中である(道新 平14・5・18、22、7・18、8・9、10・25)。
 また豊羽鉱山は札幌市の上水源に位置するため、その坑廃水処理が万全でなければ重大な公害問題を発生させてしまう。鉱山側は経営の発展に対応して平成四年におしどり沢捨石堆積場(おしどり堆積場)の増強工事に着手したり、坑廃水のpHなどの主要管理データは選鉱場中央管理室で監視する等の対策をとっている(豊羽鉱山施設課等 おしどり沢捨石たい石場増強計画 平2・4・20、同選鉱課 豊羽鉱山における坑廃水処理概要 平4・4・12)。しかし昭和三十六年に石山地区で発生した地下水汚染問題は四十七年に一応の解決を見たが、その後五十九年十一月には選鉱場から処理場へのパイプからの廃液もれが発生し、札幌市水道局白川浄水場で脱臭作業が行われたり、平成十一年七月には選鉱場の暖房用ボイラーのタンクから重油が漏れ、約一キロリットルが白井川に流出するなどの事故が報道されている(道新 昭和59・12・1、平成11・7・7)。