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天然ガスへの転換

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 平成三年に創立八〇年を迎えた北ガスは、「次代のエネルギーを考え、北の生活文化を創造する、『地域のパイオニア』をめざす。」という二一世紀に向けての「北ガス二〇一〇ビジョン」を発表したが、この中で謳われている「次代のエネルギー」の一つが天然ガスである。北ガスは昭和三十六年十一月に石炭から石油系原料へのガス源転換を開始し、四十年九月に転換を終えていた。その後環境問題が深刻化する中で、石油系原料の都市ガス、即ち液化石油ガスよりも熱量が高くて硫黄などの不純物を含まず、燃焼しても大気を汚染する硫黄酸化物を発生させないクリーンエネルギーとしての天然ガスへの転換が課題となってきた。国内では東京ガスなどの大手がいち早く導入し、平成に入って、西部ガス・広島ガスなどの中堅会社も導入を決定した。こうしたガス業界の状況は、北ガスにとって天然ガスへの転換が不可避であることを示していた。
 しかし、天然ガスの導入には一〇年間で北ガスの総資産に匹敵する一〇〇〇億円近い巨額の投資が必要なため、北ガスは平成二年一月社内に天然ガス導入検討委員会を設置して慎重に検討を進め、十一月に天然ガス導入準備室を設置した(道新 平2・11・27)。その後、五年になって天然ガスへの転換を正式に決定し、四月一日付けで天然ガス転換部を設置(道新 平5・3・12)、札幌圏約四〇万戸(五年三月末の札幌地区需要家数は三九万七九二二件で、全世帯数に対する普及率は六七・八パーセント)の都市ガス利用者に対する天然ガスの供給開始年度を八年度に置き、計画の具体化に着手した。なお、このときに、北ガスの新しいシンボルマークと企業スローガンも定められている。
 北ガスが供給する天然ガスは、石油資源開発(株)が苫小牧市・勇払ガス田で開発を進めている道産天然ガスであった。同社の転換計画は十七年度までの一〇カ年計画で、石油資源開発が苫小牧から石狩管内の広島町(現北広島市)まで口径三五〇ミリ・延長七五キロメートルのパイプラインを敷設する。北ガスは広島町大曲に受け入れ基地を作り、石狩湾新港の同社石狩工場まで同口径の幹線パイプライン四一キロメートルを敷設し、途中の東区モエレ沼付近と石狩工場には六万立方メートルのガス減圧設備を建設する。そして、各家庭への天然ガス供給は、平成八年度から厚別区を基点にして反時計回りに札幌市中心部に向かう予定であった(道新 平5・8・11)。
 北ガスは六年四月一日、天然ガス転換部と天然ガス転換センターを統括する天然ガス転換本部を新設し(北海道ガス有価証券報告書 第百四十八期)、同七月には石油資源開発と天然ガス供給の正式契約を結ぶと共に、広島供給所及びパイプラインの起工式を行った(道新 平6・7・26)。八年四月北ガス広島供給所が完成すると共に、広島町に隣接する厚別区から転換作業を開始し、五月九日には同区で天然ガス転換の火入れ式が行われ、佐々木社長は「天然ガス転換はわが社の第二の創業」と宣言した(道新 平8・12・22、北海道ガス 有価証券報告書 第百五十期)。
 天然ガス転換作業はその後も順調に進み、十年十二月末には対象区域の契約戸数に占める天然ガス普及率は二一・四パーセントとなり(道新 平10・12・4)、翌十一年四月には、天然ガスへの転換件数が一〇万件に到達した(道新 平11・4・14)。十四年三月には二五万件を超え(北海道ガス 有価証券報告書 第百五十六期)、十六年七月現在では、札幌市内の契約戸数約五七万件のうち四〇万件のガス器具交換作業が完了した。この九二パーセントは一般家庭で、八パーセントが企業関係などの事業者である(道新 平16・8・3)。
 また、このような天然ガスへの転換に伴って、北ガスは環境に優しく燃費はディーゼル車並みに経済的といわれる天然ガス自動車の普及を意図し、八年に自社の作業用車両に導入することを決定、自ら出資して天然ガス自動車北海道(NGB北海道)を設立した(道新 平8・5・9)。十六年六月末現在、天然ガス自動車は道内に七四八台が走行しているが、札幌市内では中央卸売市場天然ガス仕様の構内運搬車を導入し、札幌市もごみ収集車として使用している(道新 平16・8・3)。
 天然ガス転換作業は十七年中に札幌地区及び小樽地区で完了し、翌十八年には函館地区で天然ガスの供給を開始する計画である。小樽地区は、札幌地区等と同様に苫小牧で産出される天然ガスを道央圏パイプラインで供給する予定であるが、函館地区では、千葉県の東京ガス袖ヶ浦工場から液化天然ガス(LNG)をタンカーで輸送し、供給する計画である。その受け入れ基地として、函館みなと工場の建設が十五年から進められている(北海道ガス 北ガスだより第六十七号、二〇〇三年秋号)。