ビューア該当ページ

企業の合理化と紛争議の多発

506 ~ 508 / 1053ページ
 北海道内では、高度経済成長の過程で炭鉱・鉱山の合理化や閉山が加速し、鴻之舞鉱山の閉山や豊羽鉱山の合理化(昭48)に加えて化学肥料やセメント、繊維、運輸など他業種でも企業再編や合理化が急速に進み、倒産も昭和五十年十一月だけで過去最高の一三一件に達した(道新 昭50・11・30)。陸運最大手の日本通運でも合理化の強化により、四十六年に二七〇〇人を超えた全日通札幌支部の組合員数が五十五年には一七二八人に激減し(北海道労働組合名鑑)、中小企業では、経営者の支配介入や不当労働行為事件、紛争議などが多発した。五十一年春闘の「地域統一スト」で全日ストが行われた札幌の帝産ハイヤーでは、経営側(林興業(株))が賃金等交渉中に経営悪化を理由に他の経営グループに経営権を譲渡したことから、帝産自動車労組(三一〇人)が第三波四八時間ストに入るなど(道新 昭51・6・14夕)、二一カ月間におよぶ激しい紛争議に発展した。以降、波状ストやロックアウト、労使双方による札幌地裁への仮処分申請、道地労委に対する不当労働行為救済申し立てなど紆余曲折を経て、仲介に入った全道労協と新会社(日本交通(株))との間で和解協定が成立し、会社・組合双方が申し立てを取り下げ妥結するのは、翌五十二年十一月になってからであった(資料北海道労働運動史)。
 五十三年四月、人気ブランド「VAN」の製造元ヴァン・ジャケット(本社・東京都)が過剰生産で倒産し、また、札幌に拠点を置く松岡満交通(株)、松岡満運輸(株)などが、親会社松岡満(株)(東京都、衣料品等販売業)破産の影響で連鎖倒産した。「全国一般バンジャケット」道支部は間もなく消滅したが、松岡満運輸労組(六三〇人)は札幌地区労の支援で自主再建に取り組み、八月には更生手続開始にこぎつけた(札幌の労働運動)。しかし、いったん会社更生手続開始の申し立てを札幌地裁に行った松岡満交通が北海道交通事業協同組合に経営権を譲渡したことから、「会社乗っ取り」と反発した松岡満交通労組(組合員一一〇人)は、時限ストや車両デモ、街頭宣伝などで「更正法取り下げ阻止」を市民に訴えるなどの運動を展開した(道新 昭53・7・7夕ほか)。八月になり新経営陣、保全管理人、組合の間で自主再建の方向で妥結したが、この間に退職者が続出し、組合員が一二人に激減したのち労組は解散した(北海道労働組合名鑑)。
 その後も、市内老舗の北誉製菓(昭54)や日本引越梱包センター(昭55)が倒産し、北海道急行トラック(昭56)の会社整理などについで、五十九年、道内製菓業界の草分けで全国的販路をもつ数少ない企業であった古谷製菓(株)が倒産した。二八一人が解雇された北海道急行トラック(株)では、労組組合員八三人により新会社「北海道急行運輸(株)」が設立されたが、倒産企業の多くは未払い賃金など労務債権確保が重要課題となった(資料北海道労働運動史)。古谷製菓では、メーデー集会から戻って倒産を知った全フルヤ労組(組合員一二〇人)が、経営陣の総退陣、会社再建、未払い賃金の支給などを求めて独自に債権者や金融機関等に働きかけを行う一方、自社製品の斡旋販売を開始し、管理職組織とともに会社再建要請活動を展開した。しかし、同族会社だった古谷製菓の主な資産は工場の建物だけで、敷地も同族の個人所有であった。組合は労務債闘争に転換し、六十三年五月、同族資産の売却などにより全額返還が完了したが(消えない足あと)、専従者二人のみが残っていた組合もその後解散し、労組結成以来四〇年余の歴史の幕を閉じた。

写真-3 古谷製菓札幌工場の全景

 この間の五十四年三月、合理化に端を発した経営側の支配介入のため札幌支部を含め全国一六支部に発生したニチモウキグナス労組争議が七年ぶりに解決したが(日本労働年鑑 第51集)、合理化や経営不振などにからむ人事配置転換や解雇問題、支配介入、不当労働行為事件などは市内でもあとを絶つことなく、銀行(昭46~59)、繊維(昭47~53)、仏教寺院(昭50~51)、貨物運輸(昭53、同56~57)、タクシー(昭52~57、同59、60、62、63)、書店(昭59)、ホテル(昭59~同60)、保育園(昭62)、食品製造販売(平3)、予備校(平3~)など、中小労組や地域労組加入組合員の所属事業所で頻発し、長期化した事例も少なくない(資料北海道労働運動史)。