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創作劇づくり、活発に

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 昭和三十年代に蓄積された高校演劇の創作劇志向は、札幌啓北商定時制の『オホーツクのわらすっ子』(本山節彌作)の全国大会で最優秀賞受賞により、次々と書き手が誕生した。一般演劇でも四十年代初め、創作劇づくりを旗印に本山を中心とした札幌の劇団青の会(以下、劇団を省略)や田中和夫らの寒流、少し遅れて誕生の渋谷健一らの統一座などが全道的にも大きな影響を及ぼすようになった。
 昭和四十九年(一九七四)八月、札幌で開催された東日本演劇フェスティバル(第六回北海道演劇祭)に参加した七作品は、すべて創作劇という実績がそれを物語るのではないか。さらに前後するが札幌を中心にみると、札幌演劇協会(札演協)第三回合同公演・本山節彌作『どさんこ花子』(昭46)、詩劇研究会原子修作『アイオン』(昭50)、ノルテ長野京子作『啄木…雪あかり慕情』、北星女子高・橋本栄子作『はい、さいなら』(昭51)、さっぽろ市民劇場・本山作『ケムカ・カリプ』、極・滝沢修作流砂』(昭52)、めるへんぐるーぷ中神治夫作『紙ヒコーキ』、開成高・本山作『大きな木』(昭53)、北海道演劇集団(道演集)札幌ブロック渋谷健一作『放浪記』(昭54)と創作劇が続く。特に『放浪記』は、札幌演劇鑑賞会(演鑑)五〇回記念として初めて例会に地元の芝居が取り上げられた画期的な作品である。
北海道の劇運動のエポックをつくるのに、東京のものとか外国のものとかの借物でやるのをまだ聞いたことがない。(中略)そのものをもってやれ! 北海道人の作ったものを北海道人がすることに、「北海道の劇運動」としての価値があるのだ。
(北海道演劇史稿「はじめに」)

 という小林多喜二の提言(昭2、弟・三吾への手紙)に、やっと応える演劇状況が出来たといえよう。
 またこの時期、注目の合同公演がいくつか創られている。前出の『どさんこ花子』『放浪記』もそうだが、四十四年から全国でも珍しい高校演劇合同公演が始まり、五十三年には今だ道内では上演されていない久保栄の『火山灰地』第一部、五十五年には第二部が、石狩地区の高校生たちの手により連続上演という快挙を成し遂げた。