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伝道機会の変化

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 一九六〇年代(~昭和四十四)までは、キリスト教伝道の一環として、教会付属幼稚園と日曜学校(教会学校と改称したところもある)が、子どもとその父母を教会に結びつける有力な手がかりとなっていた。戦後新たに札幌に進出した教会でも、たとえば札幌バプテスト教会日曜学校を重視しひかり幼稚園を、札幌ナザレン教会こひつじ幼稚園を、ともに教会開設数年後の昭和二十九年(一九五四)に開園している。しかし、一九七〇年代(昭和四十五~)以降に設立した教会では、無認可の保育施設を設けるところはあるが、幼稚園の設置はほとんど見られない。全市的には伝道の手がかりとしての幼稚園の比重が低くなっており、少子化の影響で幼稚園児の減少も著しい。また五十一年に学校法人として認可された北海道キリスト教学園(麻生明星、ひばりが丘明星各幼稚園など)をはじめ、教会付属幼稚園のほとんどは、設置主体を宗教法人(教会)から学校法人に切り替えている。
 日曜学校も、出席する児童・生徒の減少傾向にあることが、教会史誌の中で触れられることがある。例えば五十年に札幌バプテスト教会は小学科児童礼拝を廃止したことがある。これは教会学校生徒の減少によるものと説明している。札幌北一条教会も七〇年代(昭和四十五~)に日曜学校の出席が減少し、教会堂外の日曜学校の合併、廃止が見られた。同様のことが日本基督教団札幌教会でも指摘され、昭和六十三年時点で二〇年間に生徒数が九〇人から三八人に減少している。その原因を同教会付属明星幼稚園の閉園、都市化による地域住民の減少(教会員の家庭の遠隔化)などにあると説明している。教団・教会によって違いはあるが、教会への入口、信仰継承の場としての日曜学校も伝道上の位置が変わりつつある。
 その一方で、七〇年代以降、ホテルなどが「教会式ウェディング」を取り入れ、結婚式に占めるキリスト教式の比重が増した。このうち独立した「チャペル」を建築し、これに「教会」名を付したのは、札幌では平成七年(一九九五)の「宮の森フランセス教会」がその最初と思われる。この種の「教会」数は、同十五年には一〇を超えている。結婚式が機会となってキリスト教への入信に結びつくことは少ないとしても、これにキリスト教界が全く無縁と言えないのは、それらの司式に教職者が個別に協力する場合があるほか、教会などからの組織的な協力があるからである。例えば、結婚式の司式を宣教の目的とする教会(キリスト教ブライダル宣教団シャロン・ゴスペルチャーチ札幌)が、同二年に設立されている。
 また、ラジオ、テレビによる伝道は、市史5上で北海道マスコミ伝道センター(ホレンコ)とカトリックの活動に触れたが、超教派のメディアとしては、昭和四十四年(一九六九)に北海道福音放送協会が札幌に設立され、中断していた「世の光」放送を再開した。それぞれテレフォンメッセージ、電話サービスも開設している。宣教機会の拡大をめざしたものとして、ほかに喫茶店伝道がある。四十六年七月、中島公園の北入口に、主として青少年にキリスト教との出会いの機会を作ろうとして開設された札幌青少年伝道センター「グッドアワー」(現、十二使徒教会「エクレシア」。豊平区美園)があり、六十二年(一九八七)には伝道(福音)喫茶「(新)グッドアワー」が二条市場周辺に開設した。いずれも日本基督教団所属教会との関連で開設されたものであるが、単立また他の教団でも宣教の一端として喫茶店伝道(「ルックイン」「アガペ」)をこころみたことがある。