表-8 神道系教会数の推移 |
教派名 | 昭47 | 昭52 | 昭57 | 昭62 | 平4 | 平9 | 平14 |
天理教 | 79 | 89 | 97 | 107 | 106 | 102 | 97 |
金光教 | 6 | 6 | 6 | 6 | 6 | 6 | 6 |
御嶽教 | 6 | 6 | 6 | 4 | 4 | 4 | 4 |
神習教 | ― | 1 | 5 | 5 | 5 | 5 | 5 |
石鎚本教 | ― | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 | 2 |
神道大教 | 1 | 3 | 2 | ― | ― | ― | ― |
神道大和教 | ― | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 1 |
『札幌市統計書』各年版より作成。 |
札幌市内に教会数が増加したのは、市の人口・世帯数の増加および信徒増加に伴う宗教状況による新設が、最も大きな原因であったといえる。けれども、仏教寺院にみられたように市外から市内への転入も要因となっていた。
市内への転入教会をみると、古くは大正六年に長沼分教会(豊平区中の島二―五)が長沼町より移転していたが、昭和四十年代以降に多くなる。例えば、東苗穂分教会(東区中沼町)は四十二年に栗沢町の栗沢分教会が移転して改称したものであり(夕張への道 年譜・部内扁 平9)、羽幌分教会(厚別区厚別西五―四)は羽幌町より四十七年八月、美流渡(みると)分教会(清田区真栄四―一)は栗沢町より四十八年十月、空知分教会(厚別区大谷地東六)は砂川市より六十三年五月に、それぞれ札幌へ転入していた。炭鉱を抱えた地域が多く、閉山による信徒の減少、あるいは信徒の札幌への転住が移転の要因になっていたと思われる。近年も依然として転入が続いており、花北分教会(白石区平和通八)は平成二年にニセコ町(狩都分教会を改称)、雅登(まさと)分教会(清田区平岡四―三)は四年に岩内町(北岩分教会を改称)、美国町分教会(手稲区曙三―一)は十二年に積丹町、阿北分教会(白石区米里四―一)、近文分教会(東区北二三東九)は十三年にともに旭川市より移転していた。仏教寺院も札幌への転入が多く、それは「都市開教」の論理に包摂されていたが、天理教の教会転入も「都市開教」を志向していたものとみなすことができるであろう。
その一方で、市内より市外へ転出する教会もあった。創成分教会が昭和五十四年に北広島市輪厚、六十一年に明恵(めいけい)分教会が大曲、平成三年に真岡(まおか)分教会が西の里へ移転し、上白石分教会が昭和六十一年に伊達市に移転し梅伊達分教会と改称するなど、市外への転出が市内教会数を減少する理由ともなっていた。