松代案内 28 功徳山 願行寺
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功徳山 願行寺(くどくさん がんぎょうじ)
宗派/浄土宗、本尊/阿弥陀如来
願行寺は、その由緒書に、天文年中(一五三二~五五)、小県郡海野荘の海野左京太夫幸義が、祖先棟綱の菩提を弔うために開基とある。神科伊勢山(現上田市)、真田、上田表を経て、元和八年、真田氏に従って松代に移ったという。「神川御陣の節ハ道山和尚一方の御防ニ加り、力戦仕候由」との記述も残る。徳川の大軍を向こうにまわし、知略をもって勝利した第一次上田合戦(神川合戦)に、五世道山和尚が加担し、大いに働いたことが伺われる。藩祖信之の近臣、伊木尚正(なおまさ)が、信之没後、この寺で出家、庵を構えて主君の菩提を弔っていたが、享保十八年(一七三三)の大火で庵は焼失した。その後、安永八年(一七七九)、明治五年(一八七三)、二十四年と江戸~明治にかけ、計四回の大火にあったが、伊木尚正が祀った信之影像は、寺宝として現存する。境内入口の優しい姿の子安地蔵も印象的。