松代案内 31 送経山西念寺
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送経山西念寺(そうけいざん さいねんじ)
宗派 浄土宗 本尊 阿弥陀如来坐像
正平二十年(一三六五)、感誉という僧によって、萱津(松代城南大手門南)の地に西応寺が建立されたという。慶長年間(一五九六~一六一五)待城城主森忠政が、海津城外郭を築いた時に、現在の地に移動。その後、松城城主松平忠輝(徳川家康の六男)の時代に、同城代だった花井吉成が、中興開基となって寂れた同寺を再建。寺号を西念寺と改めた。吉成は、北国街道の改修、伝馬宿の設置をはじめ、裾花川の瀬直し、川中島平に犀川から用水路を引くなど水田の開発にも尽くし名君として慕われた人物。その墓は長野市の指定史跡となっている。境内に立派な鳥居が建てられ稲荷大明神が鎮座している。その脇に松代出身の江戸相撲幕内力士君ヶ獄助三郎の堂々たる風格の墓(碑)が建っている。また、松代商人の代表格で地域振興に貢献した抗全家の墓がある。