松代案内 45 照光山乾徳寺
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照光山乾徳寺(しょうこうざんけんとくじ)
宗派/曹洞宗、本尊/釈迦如来。
上州沼田城主時代の真田信政が、改愚和尚を開山として二男信守の菩提を弔うため建てた寺が照光寺。信政が沼田から松代に移り、松代藩二代藩主となった明暦二年(一六五六)の数年後、この地に雲龍山照光寺を建立したが、改愚和尚遷化後、廃寺同然となった。元文元年(一七三六)、長国寺十四世密峰和尚が、四代藩主信弘(乾徳院)没後、その冥福を祈って、廃寺を取り潰し、改めて一寺を建立、照光山乾徳寺とした。五代信安が茶湯料十石余を寄進、七代幸弘からの奉納も受け現在に至る。風流感得の人・真田勘解山家の菩提寺で、信弘(乾徳院)の父・勘解由家系流の宝篋印塔、同家箏曲八橋流(市指定無形文化財)再興の祖・真田志んの墓、魚藍観音菩薩(六代幸弘の生母慈眼院の守り本尊)などが残る。乾徳院(信弘)照光院(信守)天眞院(幸弘)慈眼院(幸弘生母)等の位牌も安置されている。