「普通銀行の範疇に入らぬ銀行」

 (八十二銀行頭取小出隆) あるいは『地方銀行小史』を著した土屋喬雄は、「日本の金融史上非常に特殊な銀行」という第十九銀行は、なぜそのように言われるのだろう。それは、預金より借入を主とする製糸金融の特徴にあった。そのことについて、『八十二銀行史』「製糸金融の特異性」(50~51頁)では、つぎのように述べている。製糸金融は、短期間に原料(生)仕入に多額な資金を必要とする典型的な季節資金である。取引は、すべて現金取引で行われる。製糸業者は、生が出回る6月から10月までの4か月間という短期間のうちに一事業年度分(6月から翌月の5月まで)の生を購入するため、多額な購入資金が必要になる。その資金を銀行から借り入れて行うため、一時的に莫大なお金が集中的に必要になる。そのため、銀行の自己資本だけではまかなうことができないことから、日本銀行や三菱銀行、茂木商店など横浜の問屋からも借り入れて貸し出すということをした。例えば1916・大正5年6月末の考課状では、総預金287万余円に対して1075万円とほぼ4倍の借入金となっていたことが「並木茂八郎氏(八十二銀行常務取締役)を囲む製糸金融に関する座談会」(『地方銀行史資料』第20号)で語られているように、一時的にいわば「借金銀行」ともいえる「銀行」になることから、前述した言い回しがされるようになった。