学術論説

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木材染色術

          江 波 多(えばた:注1)
本編は1908年『ヨセフピステル』氏の注入法による木材染色術なる記事の大要を翻訳せし者(注2)にて、固より挿入せる説明図は本紙に転載する能(あた)はざれば、機械の装置に就きては多くは之を略するの已(や)む能はざるに至れり。
木材に薬液を注入して耐久を増進せしむるの必要なる事は遠く古より人の考慮せる所なりしも、之が操作を実現せしは1846年『ボウヘリー』氏が樹体内に樹液の上昇する原理を応用してボウヘリー式薬液注入法を開始し、伐採後時日を経過せざる電柱用材に硫酸銅の溶液を注入したるを以(もっ)て嚆矢(こうし:物事の最初)とす。爾来(じらい:その時以来)此方法は各国に行はれ漸次改善の域に進み、枕木或は電柱材の多量を円筒形の注薬缶なる大機械内に填充(てんじゅう:つめてふさぐ)して一時に防腐剤を注入するの方法を講ずるに至れり。
注入法による木材染色術も又防腐剤注入法と同一の径路による者にして、防腐剤に代ゆる種々なる素を注入して建築用材若(もし)くは指物(さしもの)用材を染し美観を添ふるにあり。而(しか)して此種の技術は比較的近代に於て其端緒を開きし者なれども、劣等材種を用ひて優越なる且価値ある材種に変質せしむるに最も進歩したる方法と謂ふべし。墺国(オーストリア)維納(ウィーン)に於ては1900年初めて『ブレンネル』氏が『ピステル』氏の薬液注入装置を応用して木材染工場を創設し、爾来其装置に改善を加へて従来単に染液の圧により材の組織内に注入したるも、圧搾喞筒(しょくとう:ポンプ)を応用するに至れり。此方法によれば材の各部を一様に捺染(なっせん:注3)せしむる事を得るのみならず、短時間に注入する事を得べし。即ち長さ1米突(メートル)の丸太材は僅(わずか)に3、40分にして満足なる結果を得るのみならず、長大なる幹材と雖も操作に2時間以上を要する者殆(ほと)んど稀なりとす。
『ブレンネル』工場の外、近時独逸(ドイツ)『チャーロツテンブルヒ』、瑞典(スウェーデン)国『ウエストウィック』に於ても同一方法により染工場を新設し、尚(なお)続々此種に関する計画多しと云ふ。
捺染せんとする木材は勿論(もちろん)皮付の儘(まま)断面を平滑にし塵埃を除去し、之に染液を充せる容器を特別の装置により密着せしめ圧搾喞筒の作用によりて液を樹体内に、其装置は比較的簡単なるも専売特許権を得たり。
次に長さ50糎(センチメートル)以下の短き材種には圧搾喞筒を使用せずして、単に約30『リーター』の染液を充し得べき容器を、注入せんとする樹幹の上方に約1米突(メートル)余を隔てゝ安置し其液の自然の圧を利用するにあり。従ひて装置も前者に比して極めて簡単なりとす。
樹種によりて液の注入に要する圧区々(くく:まちまちであること)にして一定せず。今其実験数なる者を挙ぐれば、
 椈(ブナ)         2―3気圧
 樺(カバ)         2   同
 槭(カエデ)        3―4 同
 赤楊(セキヨウ:注4)    3―4 同
 菩堤樹(ボダイジュ)     3  同
而して圧を加ふるには最初は極めて徐々に且(かつ)低く、而して漸(ぜん)を追ふ(注5)て其度を高むるを要す。若し然(しか)らずして当初より急激なる操作を施せば、全幹材同一様に捺染する能(あた)はずして濃淡宜しきを得ず。不成功に終る事多しとす。又液を注入したる後、之を乾燥せしむるに
 
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は材を直立せずして横臥せしむべし。且地上と全く絶縁し、少なくとも30糎(センチメートル)を隔てて平に、8乃至(ないし)10日間安置せしむべし。然(しか)らざれば一旦注入したる染液の流出する恐れあるのみならず、材の各部捺染の度を異にする恐れあればなり。
したる幹材は板材其他所要の材種に製材し乾燥器を用ゆれば、1日乃至2日間にして適当に乾燥せしむる事を得べきも、空気乾燥による時は少なくとも10乃至12週間気乾せしめたる後各種の工作に供すべし。染材の用途は多く華麗にして贅沢を競ふ部分に用ひらるゝも、又客間に於ける壁板・寄木細工・其他種々なる家具品の製作資材として効用極めて広し(未完)。