曹洞宗大本山總持寺/デジタルアーカイブ

瑩山禅師行状図

『瑩山禅師行状図』を紐解く

『弘德圓明國師常濟大師行状圖』(『常濟大師行状圖』)

二幅一双 法量 本紙:縦-130.4cm 横-61.9cm

太祖瑩山紹瑾禅師の御生涯の事蹟を、絵とことばによって語り伝えるもので、大本山總持寺に所蔵される三種の「御絵傳」のうちの一つにあたる。

釈尊の仏伝(釈迦八相)の浮彫に遡る祖師伝は、わが国において平安時代に制作された『聖徳太子絵傳』を嚆矢に、中世には諸宗の祖師の一代を描く絵伝(伝絵、縁起絵、行状図・行業などと称する)が多く制作された。曹洞宗においては、江戸時代、文政五年(1822)に開祖道元禅師の御正当を前に『道元禪師御繪伝』四幅の掛幅が制作されている。

この『常濟大師行状圖』は、第一幅に「大日本曹洞宗太祖總持寺開山」、第二幅に「弘德圓明國師常濟大師行状圖」という題号が掲げられる。第一幅は第一「大師眞影」から第二十七「正安三年大乗寺法要」、第二幅は第二十八「正安三年授戒説法」から第五十四「諸嶽山總持寺傳燈院」までの全五十四段に詞書を付して絵が刻され、二幅ともに上方右手より下方左手へと解きすすむ。第二幅の末尾に、制作にあたった「松下尚悦謹画」「市川鎌次郎謹刻」の識語が認められる。本図は彩色が施されるが、同版の無彩色図も存する。

明治二十一年(1888)、鴻盟社から印刻された能本山版『太祖國師行状圖』二双(当代貫首畔上楳仙禅師撰上、全四十四段、彩色図)を先例に、明治四十二年(1909)明治天皇より賜った「常濟」の諡号を第二幅に冠し、削除六段、増補十六段により、五十四段へ増補改変された。諡号宣下慶讃法会の御親修を機縁に、大正十三年(1924)太祖六百回の御正当にかけて制作されたか。大正十二年(1923)に関東大震災による被災で見送り、翌十四年(1925)に執り行われた大遠諱法会の会場に掲げられ、披露されたものかと想定される。

上記二種の行状図の制作の間には、高祖大師の行状図(先刻)と一対を成す縮図版『太祖國師行状圖』一幅や、同じく松下画工・市川彫工の両名が携わった明治二十六年(1893)出版の『太祖圓明國師行實圖會』(寳山梵成編輯)というもう一つの絵伝があり、また能登總持寺祖院大祖堂の欄間に「開祖瑩山禅師一代記」と称する高山富重作の彫刻もある。

絵解きにより、行状の由縁が一つ一つ説き示されることで、祖師の御生涯に対するより身近な享受が促される。それは広く檀信徒を崇敬へと導く、「語り継がれる祖師の歴史」といえる。

(文:小島裕子)

『弘德圓明國師常濟大師行状圖』1枚目 『弘德圓明國師常濟大師行状圖』2枚目

『瑩山禅師行状図』各場面について(全五十四図)

(各図解説:横山龍顯)