戸田市(ふみ)ある記マップ

美女木コース

スタート
美笹支所 西部福祉センター
ゴール
天神社
距離
約5.6km
パスファインダー

調べ方案内・戸田

彩湖(さいこ)道満(どうまん)グリーンパークを含む自然あふれるコース。市内西部に広がる彩湖や、道満(どうまん)(わた)(あと)、荒川の治水に関する土木遺産である横堤(よこてい)、市内では美女木八幡社(びじょぎはちまんしゃ)境内だけに自生する「うばゆり」など、様々な文化財を巡る。

1美笹支所(みささししょ) 西部福祉(せいぶふくし)センター

地域のおとしよりの(いこい)や健康増進、リクリエーション活動及び市民の学習活動やコミュニケーション活動等のために利用されている施設。敷地内には、荒川改修により移転した美笹村の堤外地(重瀬(おもせ)道満(どうまん)、大野、協和)の移転記念碑(昭和29年(1954))がある。また、近くの美笹公園の一角にある宝永(ほうえい)7年(1710)の庚申塔は、市内でも珍しい丸彫型(まるぼりがた)の立像である。

2彩湖(さいこ)自然学習センター(みどりパル)

自然体験学習のフィールドを有する、自然のふしぎを理解する学習意欲を支援する施設である。体験講座等を開催している。

3道満(どうまん)(わた)(あと)

道満の渡し跡

この渡しがあった付近は、古くから武蔵国(むさしのくに)足立郡(あだちぐん)新座郡(にいざぐん)の境界であった。別名を「地蔵木(じぞうぎ)の渡し」ともいい、中山道の蕨方面から宗岡(むねおか)引又(ひきまた)(志木市)などへの東西を結ぶ交通路になっていた。大正9年(1920)に始まった河川改修により廃止された。写真は道満の渡し付近にあったとされる水神宮。台座に「西 引又ミち二り」などと刻まれている。

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調べ方案内・戸田

4美女木八幡社(びじょぎはちまんしゃ)

美女木八幡社

創建を鎌倉時代と伝える古社で、鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)勧請(かんじょう)したとされる。その後、戦乱により衰退、元亀(げんき)元年(1570)伊賀(いが)宝信入道(ほうしんにゅうどう)により再建されたといわれる。社宝の「銅鐘(どうしょう)」は南北朝時代のものとされ、県指定文化財となっている。(*「銅鐘」は、郷土博物館に常設展示中)

【うばゆり】

うばゆり

関東以西に分布するユリ科の多年草。8月上旬、筒状で緑白色の花を放射状に咲かせる。花期に葉が枯れ落ちるため、葉=歯が抜け落ちた(うば)の姿に見たてて「うばゆり」と呼ばれる。市内では美女木八幡社境内(けいだい)だけに自生し、市指定天然記念物となっている。

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調べ方案内・戸田

子供向けしらべかたガイド

5徳祥寺(とくしょうじ)

千手観音供養図絵馬(せんじゅかんのんくようずえま)

千手観音供養図絵馬

美女木の三宝山徳祥寺(さんぽうざんとくしょうじ)に奉納されている。文政(ぶんせい)5年(1822)の年号が記され、年号のある絵馬の中では市内で最も古いものである。千手観音を囲んで観音経を唱えている様子を描いたもので、(こう)の人達が記念に奉納したものといわれる。(*郷土博物館に寄託)

6妙厳寺(みょうごんじ)

十六羅漢(じゅうろくらかん)

妙厳寺十六羅漢

天照山(てんしょうざん)と号す。創建は明応(めいおう)2年(1493)といわれ、開山は梅室英芳(ばいしつえいほう)と伝えられる。県内でも珍しい石造の「十六羅漢(じゅうろくらかん)」をはじめ、3点の市指定文化財がある。山門は、廃寺(はいじ)となった円通寺(えんつうじ)のものを大正時代に移築したといわれている。

7美女木薬師堂(びじょぎやくしどう)

薬師堂(やくしどう)閻魔(えんま)

美女木薬師堂

閻魔は、冥界(めいかい)で死者を裁く十王(じゅうおう)の一員である。薬師堂の閻魔像は、亡くなった人の菩提(ぼだい)追善供養(ついぜんくよう)するために、いずれも1600年代に造立された。市内では石造の閻魔像は珍しく、この美女木の薬師堂に5基あるだけである。

8天神社(てんじんしゃ)

美女木砂場(すなっぱ)のホラの神としてまつられている天神社。砂場の天神祭りは昭和初期頃までは大変盛んに行われていて、特に丑年には盛大であったという。

鷹場(たかば)

鷹場榜示石
鷹場榜示石

戸田市が接する荒川の堤外(ていがい)一帯(現在の道満(どうまん)彩湖(さいこ)の辺り)は、江戸時代には徳川将軍家の猟場(りょうば)「お鷹場」であった。この一帯の鷹場は特に「戸田筋(とだすじ)」と呼ばれ、家康をはじめ、歴代の徳川将軍が鷹狩りに訪れたことが記録に残っている。なお、郷土博物館には「従是西北 尾張殿鷹場」(これよりせいほく おわりどのたかば)と刻まれた石杭が常設展示されている。これは「鷹場榜示石(たかばぼうじせき)」と呼ばれ、鷹場の領域を示すものである。この榜示石は堤外の重瀬(おもせ)(旧下内間木(しもうちまぎ)村)に建っていたもので、御三家(ごさんけ)の尾張徳川家の鷹場を示していた。

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調べ方案内・戸田

子供向けしらべかたガイド

横堤(よこてい)

堤防から河川の流路の方向に垂直に築かれた堤で、荒川上流部改修計画(大正7年(1918)着手、昭和29年(1954)竣工)において、計27本が整備された。横提は、洪水時に下流の洪水を軽減するとともに、流速を軽減させて高水敷(こうすいじき)や耕作地を保護する役割を担っている。彩湖・道満グリーンパーク内には「美谷本(みやもと)第二号横提」の一部が現存している。