戸田市(ふみ)ある記マップ

上戸田コース

スタート
戸田市役所 案内板
ゴール
上戸田氷川神社
距離
約4.9km

戸田市の行政をつかさどる戸田市役所を出発するコース。戸田市内で初めて発見された鍛冶谷(かじや)新田口遺跡(しんでんぐちいせき)や、旧羽黒山(はぐろさん)ゆかりの文化財がある上戸田氷川神社などを巡る。

1戸田市役所(とだしやくしょ) 案内板(あんないばん)

戸田市の行政の中心である。市内の案内板がある。

2光明寺(こうみょうじ)

蕨の三学院(さんがくいん)の末寺。本尊(ほんぞん)阿弥陀如来(あみだにょらい)境内(けいだい)には地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が安置されている。現在の光明寺一帯は戸田城(蕨城(わらびじょう))の城址(じょうし)であったとする説がある。

3海禅寺(かいぜんじ)

海禅寺

瑞光山(ずいこうざん)と号す。開山は鎌倉建長寺(けんちょうじ)十一世大通禅師(だいつうぜんじ)で、その後、戸田城主桃井中務少輔直和(もものいなかつかさしょうゆうただかず)菩提所(ぼだいしょ)となったと伝えられる。近代になると、明治10年(1877)に、この海禅寺を教場として上戸田学校(現在の戸田第一小学校)が開校している。

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調べ方案内・戸田

子供向けしらべかたガイド

4多福院(たふくいん)

多福院

亀宝山能満寺(きほうざんのうまんじ)と号し、開基(かいき)は桃井中務少輔直和、開山は定顕(じょうけん)という僧であると伝えられる。伝承によると、江戸の正保(しょうほう)(1644~1648)頃までは荒川の岸辺にあったが、幾度かの洪水により現在の地へ移ったといわれている。

5鍛冶谷(かじや)新田口遺跡(しんでんぐちいせき)(新田口公園)

鍛冶谷(かじや)新田口(しんでんぐち)遺跡】

鍛冶谷・新田口遺跡

荒川(旧入間川(いるまがわ))の自然堤防上に立地する、弥生(やよい)時代後期から古墳(こふん)時代前期前半(今から1700年ほど前)の遺跡である。多数の住居跡や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が確認されており、大規模な集落跡であった様子がうかがえる。埼玉県選定重要遺跡となっている。

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調べ方案内・戸田

6新曽沖内(にいぞおきない)馬頭観音像(ばとうかんのんぞう)

馬頭観音は観音菩薩(かんのんぼさつ)化身(けしん)で、六観音(ろくかんのん)の1尊に数えられている。江戸時代になると、馬の供養や守り神として信仰され、石仏・石碑として造立(ぞうりゅう)されるようになる。現在でも地元の方が年に2回ご開帳(かいちょう)し、観音講(かんのんこう)を行うなど、石像だけでなく地域の馬頭観音信仰も今日に伝えられている。

7地蔵菩薩座像(じぞうぼさつざぞう)

地蔵菩薩坐像2

文化(ぶんか)15年(1818)に造られたもので、江戸時代後期のものとして大変優れた彫刻である。作者は、旧下戸田村の石工(いしく)・秋本金次郎である。また、銘によると新曽観音寺の僧隆賢(りゅうけん)の指導のもと、沖内(おきない)の女講中の助成により造立されたことがわかる。

沖内囃子(おきないばやし)

沖内囃子

“テンノウサマ”と呼ばれている津島(つしま)神社の夏祭りに奉納される祭り囃子である。曲目は、神輿(みこし)渡御(とぎょ)開始のときに演奏される天王昇殿(てんのうしょうでん)、「きつね」や「獅子」を踊るときの屋台(やたい)鎌倉(かまくら)四丁目(しちょうめ)、「おかめ」・「ひょっとこ」・「大笑い」などの“もどき”を踊るときのエンバがある。

8上戸田氷川神社(かみとだひかわじんじゃ)

羽黒権現社(はぐろごんげんしゃ)

芭蕉の句碑

戸田渡船場の近くにあった神社で、出羽国(でわのくに)羽黒山大権現(はぐろさんだいごんげん)勧請(かんじょう)したもの。江戸時代には多くの信仰を得て、参詣者でにぎわった。現在は、上戸田氷川神社に合祀され、市指定文化財の芭蕉(ばしょう)句碑や力石(ちからいし)などゆかりの石造物を見ることができる。
写真は芭蕉句碑「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」

戸田公園駅(とだこうえんえき)

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調べ方案内・戸田