銚子市デジタルアーカイブ
人文

考古

銚子市内には、約190ヶ所の遺跡があり、そのうち、約30か所の遺跡の発掘調査を行いました。調査の結果、約28,000年前の旧石器時代以降、この土地で人々が暮らしてきた歴史を、見つかった住居跡や土器などから知ることができます。

旧石器時代

石器

旧石器時代の人たちは、まだ土器を持たず、主に石の道具を使い、狩猟や採集活動を行っていました。銚子では約28,000年前から人々が暮らし始め、海岸線に露出している地質時代の岩石を材料とした石器も見つかっています。 代表的な遺跡は、三崎3丁目遺跡(三崎町)です。

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縄文時代

骨角器

縄文時代は弓矢や縄文土器を使用し始め、約13,000年前から2,300年前までの約10,000年間続きました。代表的な遺跡には、コハク製の玉類や漆塗りの土器などが出土している粟島台遺跡(南小川町:縄文時代前期~中期)、ベンケイガイ製の貝製腕輪(貝輪)や動物の骨、鹿角で作った釣針などの魚を獲る道具が出土している余山貝塚(余山町:縄文時代後期~晩期)があります。

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弥生時代

弥生時代

市内で弥生時代の遺跡の調査例は少なく、当時の暮らしを知る手がかりは限られています。野尻遺跡(野尻町)や佐野原遺跡(春日町)からは竪穴住居跡が検出され、下総台地上にある程度まとまった集落があったと考えられます。また、野尻遺跡から炭化米が出土し、米作りの始まりも伝えています。

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古墳時代

剣形模造品

利根川を眼下に望む下総台地上には古墳や集落跡が多くあります。市内で最大規模の古墳は、全長約35m、高さ約4mの前方後円墳(野尻1号墳:野尻町)で、このほかに円墳や方墳が確認されています。また、大宮戸遺跡(春日町)からは赤彩が施された土器も複数出土し、祭祀的な行為がなされていたと想像できます。

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奈良・平安時代

墨書土器

この時代の銚子は、下総国海上郡内の「三前(崎)郷」「三宅郷」「船木郷」と「橘川郷」、「横根郷」の一部に属していました。現在の地名でいうと「三前(崎)郷」は三崎町周辺、「三宅郷」は三宅町周辺、「船木郷」は船木町周辺と考えられています。この時期の遺跡は、市内全域に確認でき、新農遺跡(桜井町)、西町西遺跡(長塚町)は発掘調査により住居跡が確認されています。

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中世

中世の代表的な遺跡は中島城跡で、海上氏が拠点として当地域を支配していました。さらにその子孫は海上氏が統治していた地域の本庄(本城)、飯沼、船木、松本、辺田、馬場、高上(高神)等を分領して、その地名を苗字としました。現在に残る居館跡や城郭館跡のいくつかが彼らの拠点であったと推定されています。

瀧田コレクション

瀧田コレクション

瀧田正俊氏は歯科医の傍ら考古学、天文学、地質学といった多方面に深い造詣を示し、1966年(昭和41)から1980年(昭和55)まで銚子市文化財審議会の会長として広い視野から文化財保護に献身的にご尽力いただきました。
1949年(昭和24)の粟島台遺跡発掘調査への参加を契機に銚子考古学同好会を組織し、1958年(昭和33)の余山貝塚の発掘調査への協力など埋蔵文化財の保護と啓発に寄与されました。

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