銚子のまちなかで見ることができる石造物や建築物などの文化遺産を紹介しています。例えば庚申塔などの民間信仰の遺物も地域の方々の手で今日まで守られてきた貴重なまちなかの文化遺産です。過去の調査などにより把握しているまちなかの文化遺産は可能な限り掲載していますが、市内各地に無数に点在する文化遺産の全てを掲載しているものではありませんので、今後も随時情報を追加していく予定です。
地域によって諸説ありますが、「厄病神などの侵入を防いでくれる」「行路の安全を守ってくれる」といわれると同時に、人の一生を旅に例えて、人々の命や財産を守り、子孫繁栄等をつかさどる身近な神様ともいわれています。
銚子市では、海上小学校(垣根町)の前に道祖神塚があり、その中で最も古い道祖神は寛政11年(1799)に造立されたものです。
月待は特定の月齢の日に月の出を待つ行事で、十三夜待から二十九夜待まであります。近隣の人々が講を結び、一堂に夜集まり、念仏等を唱和したり、雑談、飲食や集落の決め事などを行いました。戦災で今は消失しましたが、飯沼観音境内には二十三夜堂がありました。
また、十九夜講は子安講と結ばれ、子安観音や子育地蔵と習合されたものもあり、参加者はほとんど女性に限られていました。
十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)を組み合わせた信仰で、60日に一度庚申日が回ってきます。この日に講中の人が集まって、お祈りや歓談を伴う飲食をする行事を庚申待といいます。人の体内に「三尸(さんし)」という三匹の虫が棲み、庚申の夜に人が寝ている間にこの虫が天に昇り、その人の悪事を報告するので、人はその日の夜は眠らず徹夜の庚申待を行うといわれています。
目録をみる観音様の中で、この馬頭観音だけは怖い顔をしています。馬頭観音が疾走して魔物を打ち破り、衆生を救済してくれる、また無明や煩悩を馬食のように食い尽くしてくれるという六道生死の考えに基づく観音様です。
しかし、時代が新しくなると、町の境界や街道筋に造立され、馬の供養塔や墓標的な役割を持つものが増え、この分布状況から過去の街道や物資の集散地等を知ることができます。
光明真言(こうみょうしんごん)とは、密教の教えの一つで、これを唱えると、一切の罪障が除かれ、福徳が得られるという教えです。石碑には、大日如来の種子を中心に、光明真言を表した梵字で円形に囲んで表現されています。
江戸時代に広く信仰され、本市でも真言宗の教義が広がっていたことから、各所にこの光明真言塔を見ることができます。
本市には、漁網にかかった亀を大切に扱う「亀の子さま」の信仰があり、川口神社や妙福寺など市内の寺社に「亀墓」があります。風格のある墓石で、漁業関係者によって大正から昭和にかけて建立されたものが多くみられます。また、川口神社には「鯨墓」もあります。
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