長万部付近から黒松内を経て寿都に至る低地帯は黒松内低地帯といわれる。館脇操は石狩低地帯から南西部を温帯系域としながらも、その間に黒松内低地帯を重視した。黒松内の歌才(うたざい)には温帯種ブナの原生林があり、北限地となっている。つまり、これより南の渡島半島はブナをはじめ東北北部との共通種の濃厚な地域であるとし、これより石狩低地帯との間に介在する地域を温帯種が次第に姿を消してゆく漸減地帯とした。このことは草本にもほぼ当てはまることである。
このように、北海道およびその周辺には幾つかの生物分布の境界線が論議され、それらの境界線はそれぞれ温帯から亜寒帯へ移行する段階とみるべきである。つまり、北海道の生物相は、東北地方から北上してきた温帯的要素が、道南から道北へと分布を広げ、他方、樺太や千島を経由して南下してきた亜寒帯的要素が、道北、道東から道南へと分布してきた過程の中で、両要素が混在することにより構成されたものと考えられている。過去の地殻(かく)の変動、海面の昇降などにより陸続きになったり、隔離されたりしながら、北海道が移行のかけ橋となり、そして、現代に適応した生物が生き残った、という地史的背景を考慮に入れなければならないことはもちろんである。