貝塚は北欧から南米の各地で見られるが、デンマークの海岸一帯には数も多く、研究の歴史も古い。貝塚と呼ぶ用語は、初めにデンマーク語の″台所の掃きだめ″から生まれ、英語ではキッチン・マウンドとシェール・マウンドとの両方が用いられているが、日本ではエドワード・S・モースによって″貝塚″と呼ばれるようになった。北欧には貝塚時代と呼ぶ時代があって、中石器時代にまでさかのぼるが、日本では縄文時代から歴史時代まで貝塚がある。その数は全国で4200か所以上あり、北海道では酒詰仲男の『日本貝塚地名表』-昭和34年-によると127か所ある。未確認のものなど加えると実際には全道で200か所を超えるであろう。地域的に胆振、後志、釧路、函館などに多い。台地上の畑などに貝塚が堆積して日ざしを浴び、まばゆいほどに見えることがある。果てしなく続く丘陵、河川の沢合いや海が写生画を見るように展開し、かつての函館もこうした情景が見られた。貝塚についてはこれまでにも述べて来たが、先史時代の自然環境や生活環境を知る上で重要な遺跡が貝塚なのである。函館には何か所にも貝塚があった。縄文時代前期の貝塚は地表に現われることはないが、畑などに広がって見える貝塚は縄文時代中期から後期の初めのもので、このころに何か所もの貝塚が形成された。関東地方では大規模な貝塚が海岸から20キロメートルも内陸の段丘上にあって、400メートルの範囲に貝塚が広がり、3メートルも厚く堆積していることもある。貝塚は、旧海岸線に分布し、海進、海退期の手がかりとなったり、海水温度や気温変化を知る資料にもなっている。貝塚は一定地域に分布し、大規模なものも形成されている。仙台湾、函館湾、噴火湾の各沿岸に有名な貝塚がある。
貝殻が厚く層をなしていても、考古学で言う貝塚でないものもある。自然貝層で、人為的なものでなく、遺物を含まないものである。化石貝層や河川流域のヌマガイの自然堆積、海に近い湖沼に堆積する貝層、あるいは沢の奥や段丘の砂礫層の間にある貝層などである。しかし、このような自然貝層でも、網走湖のように時代別にヌマガイの層、シジミの層、カキの層、アサリの層が堆積してそれぞれ考古学との関連で湖沼の生成形態と年代の移り変わりを示す例もある。考古学で言う貝塚とは、人類が貝を捕食して捨てた貝殻の堆積である。貝塚をごみ捨場であると考える向きもあるが、人骨が埋葬されていたり、生活に必要な骨角製の針や漁具とか飾玉が埋蔵されていることが多く、単にごみ捨場であったとするのは疑問である。貝塚の外側に住居址があったり、内側に集落があるなど、貝塚と集落の関係は非常に密接である。一般にごみ捨場は不要になったものの投棄場の意味であるが、北海道には周囲に石組みをしてその中に貝殻だけを積んでいた例もあり、また、海岸にある近代のアイヌ墓地に、形のよいホッキガイ、カガミガイを墳丘上に敷き並べている例もある。アイヌ民族の習慣にヌササン(送り場)というのがある。住居の片側に祭場が設けられていて、動物の頭や骨あるいは使い古した臼(うす)や椀(わん)などが置かれてイナウ(幣)が添えてある。″生活に役立ったものをそれぞれ動物や木々の精霊のもとに送り返す″場所なのである。これは物を粗末にしないという心の表われで、送り場に祭ることによって、新たにそれらの物が得られるという信仰からである。貝塚はこのヌササンに似た性格を持ったものであろう。
記録のない時代の生活環境を知るために、貝塚は重要な資料を提供する。貝殻の種類と量の比によって、当時の海岸の様子が推定できる。ハマグリ、アサリの多い場合は砂浜で、しかも遠浅か湾入していたところと考えてよいし、エゾパイやイボニシ、イガイの多い場合は岸礁性の海岸であったと見ることができる。前編第2章の地形の項でも述べられているが、石川政治の研究によると、貝塚の貝類の中央値の測定によって海水の温度が推測でき、その時代の平均水温から気候が温暖であったか寒冷であったかまでも推定できる。また、当時の海の様子は、貝塚から検出される魚骨によって更に明らかにされる。貝塚の獣骨からその種類を見ると、陸棲(せい)と海棲があり、シカ、キツネ、タヌキ、アナグマ、テンと、クジラ、トド、アシカ、アザラシ、オットセイがある。鳥類では白鳥やアホウドリがあり、これは加工されて針入れになっていることが多いが、一般に出土する鳥骨は小さいために種別が定め難い。これらの動物は主に食糧としたもので、その骨の種類と骨の量は必ずしも当時の動物相とは一致しない。出土した骨を観察するとほとんどの骨に焼けたあとがない。これは生食を意味するものであろう。シカ、キツネ、テン、オットセイなどの頭骨はどれも後頭部に穴が開けられている。シカの頭骨は穴を開けたものと分解したものがある。これは前述したように大腿骨などを割って食べているように、頭骨も割って脳髄をも食べたのである。骨や角は道具の材料にもなったが、骨角製品を見ると動物の種類と骨の部分によって材料を区別していることがわかる。
貝塚を発掘すると、何千年も経過しているのに骨などが生々しく見える。時には魚のうろこまで残っている。これは多量の貝の成分である石灰質(アルカリ性)によって保護されていたからで、普通の遺跡では大きな骨でも保存されている例は珍しい。長期間土中に埋もれていると土壌の酸性分や雨水に含まれている微量の酸の浸透によって腐食してしまう。しかし、砂層など条件の良い所にあった場合はかなり保存されるが、遺跡は通常丘陵で段丘地形が発達した所にあり、地質的には火山性土壌で粘土質の堆積物などから成り、それらが酸性であるため自然遺物が残らない。それだけに貝塚は遺跡の中でも貴重な存在である。