従って大治年間(1126~1131)融通念仏の祖、良忍が布教弘法のために函館に杖を休めた(『箱館夜話草』)ということや、日蓮上人の高弟日持が異境の布教を志し、永仁3(1295)年正月駿河を発して蝦夷地に渡り、函館山の頂上に題目を大書した鶏冠形の巨石を残し、石崎に庵を結び数年間ここにとどまったという遺跡が伝えられているが、いずれも来道を証明する確かな史料がなく、その真偽については断定できないけれども、仮にこれが伝説であったとしても、相当に古い時代から函館には、仏教文化の伝来があり、これを信仰の対象とした人びとが、少なからず移り住んでいたとみることができる。