天明5(1785)年、同6年の蝦夷地調査によって、ロシア人がわが北辺に迫っている事実が、はじめて幕府にも明らかにされた。
そもそも松前藩が、ロシア人の南下接近の報を聞いたのは、これより先、宝暦9(1759)年のことで、松前藩士湊覚之進が、厚岸に派遣されて滞留中、択捉および国後の酋長らから、一昨年(宝暦7年)クルムセ(北千島)におもむいたところ、赤衣を着た外国人が番所を構えて居住しているという報告を受けた。その後、渡来するアイヌたちからも、ロシア人が次第に触手を伸ばし、島伝いに南下しつつあったことは、すでに聞き知っていたのである。