箱館は宝暦・天明期以降しだいにその経済的地位を上昇させてきていたが、東蝦夷地の直轄による直捌制を大きな契機として、一層急激に増大してきている。すなわち、東蝦夷地の産物は、その大部分が箱館において売捌かれたため、幕府の直営船はもちろん一般商船の出入も頻繁になり、そのため問屋をはじめ小商人に至るまで、著しい成長をとげた。この期に高田屋のほかに、どのような商人が成長し台頭してきたかについては、資料も乏しく正確にはわからないが、前記文化10年からの東蝦夷地の場所請負を落札した商人には、和賀屋卯兵衛、鍋屋左兵衛、坂本屋勘右衛門、浜田屋亀吉、若狭屋庄兵衛、島屋佐次兵衛の名が見え、これらの商人のほとんどは、この時期に成長してきたものと思われる。和賀屋、浜田屋、若狭屋などは、株仲間問屋の一族と思われ、また鍋屋左兵衛なども小宿頭取鍋屋吉右衛門の一族と思われる。
従ってこの時代に成長してくる商人の多くは、問屋商人から出たものとみてよく、このように箱館の問屋商人が、請負人として登場してくる実力をつけた背景は、とりもなおさず場所請負制の廃止に伴う直捌によって、箱館港を中心とする商品流通が活発化し、前代には比較にならないほどの飛躍的な発展があったからにほかならない。