ゴロウニン箱館へ護送

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伝ゴロウニンの書

 かくてゴロウニンら8名は捕縛された翌4日、ただちに根室に移され、陸路を護送して箱館に向かった。箱館に着くまでに1か月近くを要している。7月2日大野から2、3キロメートル来たところで手縄が解かれ、道路の両側に並んだ多数の群集の間を、箱館市中に引かれて行った。見物人は極めて静粛で誰ひとりけわしい顔付や軽侮憎悪の色を浮かべたものもなく、また素振りにも侮辱や嘲弄を見せるものはなかったという。そして収容された獄舎は、野原の高台の上に建てられたぞっとするような光景の所にあったが、その窓からは津軽海峡の一部や、その対岸の日本本土を見ることができたという。
 箱館では50日ほど監禁されていたが、その間、アイヌ語通詞上原熊次郎アレキセイとの相互通訳で、箱館詰吟味役大島栄次郎が数回糾問ののち、8月22日福山に移され監禁された。ゴロウニン箱館在獄中もっとも日本人に悩まされたのは、役人や獄卒に扇面や紙に何か書いてくれと頼まれたことで、時には一度に10本も20本も扇子を持ち込んでくる厚かましい者もいたと、その著『日本幽囚記』に見られる。現在では市立函館図書館に「ゴロウニンの書」といわれているものが、1枚残っているだけである。