郭の規模

588 ~ 589 / 706ページ
 元治元(1864)年竣功し、6月箱館奉行小出秀実がここに移った。塁形が五稜であるところから、これにちなんで五稜郭という。周囲の濠には亀田川の水を引いて注ぎ、郭内には縦横に水道を通じて飲料水とした。門は3か所にあり、西南をもって追手門とし、ほかに北と東北に設けられ、追手門の外に三角土塁を設けて内部を遮蔽(しゃへい)し小濠を掘ってその両端を大濠に通じた。橋は5基をかけ、追手門の前、その左と右に1橋ずつ、そのほかに北門と東北門の前にかけた。周囲約1,900間、高さ約1丈5尺、直径約180間、面積5万4,122坪である。濠外東南西の3面に連なって塁を設けている。この郭は当時の築造としては、すこぶる進歩したもので他に類を見ずといわれた。
 右の2大工事に引続き、築島および沖ノ口に台場を築く予定であったが、折から幕府多難の時に当り、財政逼迫(ひっぱく)のため、遂にこれを見合せた。