箱館の開港は、箱館を一躍世界の文化に接触させ、本道の文化に大きな影響を与えた。最初に在留したアメリカ貿易事務官ライスのことはすでに述べたところであるが、次いで安政5(1858)年9月、ロシア領事ゴスケウィッチが、その家族および書記、海軍士官、医師(ゼレンスキー)、宣教師(イワン・マホフ)各1人、下男4人、下女2人、合わせて15人を伴い軍艦に乗って着任した。また同6年9月10日にはイギリス領事ホジソンが来着しフランス領事を兼ねていたが、後ユースデンが来てこれに替わった。そのほか米、英、仏、露など各国の商人らも来て在留し、諸国の軍艦、商船、猟船などが入港し、中国人もまた雇人の名義で来航したので、箱館はまさに国際都市の観を呈し、箱館の人々は居ながらにして諸外国人と交わり、諸国の文物に接することができた。