従って、この産物会所の目的は、名目的には、
など多種にわたっているが、真の目的は、蝦夷地産物の紹介、販売であり、幕府の財政政策から、蝦夷地の開発資金を調達しようということが、最も緊要な課題であったのである。すなわち、各地産物会所の主要な任務は、拡散した漁場仕込制を統制し、外国貿易を幕府の手に握ることであった。
こうして幕府は、箱館はじめ各地の産物会所を介して、蝦夷地の生産および流通に全面的な統制を加え、そのなかから新たな利潤を引出そうとしたものの、会所を通さない産物が多くなるなど、幕末期の広範囲にわたる商品流通を、全面的に統制することは困難になり、大坂、兵庫などの主要会所は慶応3年ころまで存続したけれども、不振のまま明治元年10月、箱館生産会所として組織替えするに至った。
なお、この産物会所は、産物振興のため鉱山の開発、硫黄の買上げ、養蚕機織の奨励、陶器および紙の製造、紫根の採取ならびに七重薬園などの事業も行い、その生産物の販売にも力を注いだ。