諸鉱山の調査

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 鉱業においては、安政2(1855)年7月、蝦夷地開拓触書をもって、「金、銀、銅、鉄、鉛山間掘の儀、自分入用を以て相試し度く存じ候ものは、年季を限り御免許可これあり候、且掘出し候礦類は直に御買上これあるべき事」と布達して開発奨励にあたり、翌3年正月、奉行竹内保徳箱館地方の金、銀、銅、鉄、鉛の諸鉱山を巡見し、次いで南部藩に命じて鉱山に熟練した者を派遣させ、その良否を鑑定させた。同蕃は命によって銅山先山岩尾勝右衛門、同舗手伝(しきてつだい)青山伝作、工藤市右衛門および鉱夫ら8名を箱館に派遣し、勝右衛門らは付近の諸鉱山を調査した結果、川汲金銅山、市渡銅鉛鉱を見込みあり、椴法華、精進川字鶴ケ沢、古部山を見込みなしとし、山相絵図および分間図を添えて復命したので、川汲、市渡の2鉱山を官業として開鉱した。