幕末ころの箱館
箱館の人口増加によって町は地蔵町方面に延びつつあったが、この町の北端に桝形という幕府前直轄時代に設けられた旧番所跡があって、これを阻止していた。そこで安政5(1858)年箱館奉行はこれを取払い、その跡に官費をもって貸長屋の建設を計画するところがあった。たまたま同町に伊兵衛という人があって、この桝形の土石を願い受け、その代わりに整地をしたので、官では早速この地に貸長屋を建設してこの方面の発展を促し、次いで同6年には願乗寺川の開削があり、また万延元年に焼失の厄(やく)にあった願乗寺も新たに建築されたこともあり、人々はこの付近に家屋を建てて移り、しだいに市街を形成するようになった。