総代人の活動

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 総代人制は、会議規則等の定めがなかったため具体的な活動の記録があまり残されていないが、選出直後の8月18日には早速集会が持たれ、「高龍寺移転ノ義ニ付願」の出願を決定し、続いて25日にも集会を持ち、函館市民の悲願であった水道起業について官費拝借による起業の出願を決定するなど、選出早々から活発な活動を開始した。さらに翌12年1月29日の集会では、戸長からの提案を受けて区入費経理監査を毎月1回総代人が行うことを決定した。総代人は、市民の代表として町政の中でその地歩を確かなものとしていったのである。しかし町総代人に限っていえば、多人数のため全体集会の開催が難しかったことや、函館全体に係わる事項は小区総代人が担当したこともあって、その機能をあまり発揮できなかった。そこで、函館区役所が開庁された13年1月、小区が廃止されたこと及び12年12月6日の堀江町大火により町勢が変化を来したことを理由に、総代人制の一部手直しを函館支庁へ上申することにした。手直し案は、町総代人を34人に、区総代人を8人とするもので、支庁は単独に仮許可を与えている(明治13年「取裁録」)。翌2月総代人の改選が実施され、表2-44のとおり町区総代人が選出され、町総代人が総代人の中心に位置することとなった。なお、小区総代人消滅をうけた改正は、函館支庁の改正伺をもとに、明治13年7月8日乙第7号を以て「総代人ハ毎郡区八人ヨリ多カラズ四人ヨリ少ナカラザルヲ以テ定員トスベシ」との郡区総代人制が布達され全道に実施された。
 
 表2-44 町区総代人名簿(明治13年2月10日現在)
町総代人名(○印は区総代人)
元14大区広田丈吉噸林又右衛門佐々木政十郎安保定兵衛工藤孫三郎
      ○
小林重吉
 
中村兵右衛門
 
中村右三郎
 
和田幸太郎
 
丸山文右衛門
元15大区 
石田四郎右衛門
 
成田嘉七
 
渋田利右衛門
 
林字三郎
      ○
牧田藤五郎
 
鈴木久蔵
 
及川弥兵衛
       ○
田中正右衛門
     ○
松代良吉
 
佐野専左衛門
      ○
今井市右衛門
 
金沢弥惣兵衛
       ○
渡辺熊四郎
元16大区      ○
泉藤兵衛
 
亀井惣十郎
 
菊池治郎右衛門
     ○
村田駒吉
 
本間与八
米谷権右衛門三浦喜助官野宇一郎大宅民蔵山本鉄次郎
西村善吉

 町総代人34名(内区総代人8名)
 明治13年「区役所達」より作成